地震だけならよかった、と誰もが言う。その後の津波が多くの犠牲者を出し、そして原発をも破壊した、東日本大震災。震災の直後、人々は生き延びるために必死となる。彼らを救うヒーローがたくさん生まれた。
震度6以上の際「別命なくば駐屯地に急行せよ」という行動基準に従い、隊員たちは部隊へ向かう。杉山隆男『兵士は起つ』(新潮文庫)は自衛官からみた震災のドキュメントだ。「自分は自衛官なのだから」。睡眠も食事も忘れて国民の救出に向かう彼らの姿に、人々はありがとうというしかなかった。
自らも被災しながら、医師たちは患者たちを救い続けた。海堂尊監修『救命』(新潮文庫)は医師でもある作家が現場に赴き、その時の行動を9人の医師に取材した臨場感あふれる一冊である。津波が襲った翌日、屋上で必死に助けを求めていた南三陸町公立志津川病院の医師や看護師の姿はいまでも記憶に残っている。
河北新報社『河北新報のいちばん長い日』(文春文庫)は新聞社がどのように発行を続けたかのドキュメント。激震直後、朝刊の制作を決めたが海岸沿いの販売店が津波に飲まれ連絡がつかない。市内の9つの避難所に号外を配ると情報を求めて人々は群がる。瓦礫の中を徒歩で取材をする記者、日夜おにぎりを握り続ける女性職員、ガソリン確保に何時間も並んだ販売部員。驚くほどさまざまな業種の人たちの声がこの本には載せられている。
この震災の最大の特徴は、津波の犠牲になって亡くなった人が極めて多いことだ。波が去ったあと、多くの哀しい遺体が残された。石井光太『遺体』(新潮文庫)は釜石の安置所に運び込まれた遺体を前に、確認する人、それを迎え入れる市職員、身元を確認する医師や歯科医、自衛官に丁寧に取材した渾身のルポである。
いまでも問題山積の福島第一原発のメルトダウン。当時の所長・吉田昌郎(まさお)へのロングインタビューに基づく門田隆将『死の淵を見た男』(PHP)は世界を破滅から救った男たちの手に汗握る真実を追った作品。政府はマスコミを通じて「直ちに危険はない」と報じつづけていた。後の朝日新聞による「吉田調書」誤報問題も印象的な出来事だった。
川村湊『福島原発人災記』(現代書館)は震災から2週間の報道を記録した日記である。文芸評論家であり大学で教鞭をとる文学者として本来してはいけないネットからのコピペや出版物の引用を使い原子力推進派の発言を検証する。今となっては貴重な記録となった。