皇族もしばしば利用する日光のターミナルだけあって、駅舎の一角には貴賓室もある。外は雨、そして緊急事態宣言下。同じ列車で降り立ったお客はほかに若い男性2人組がいたが、他には誰もいないし駅構内の観光案内所は閉鎖されていた。駅前の通りにはクルマが時折駆け抜けていくくらいで、人通りといえるものはまったくない。まあ、雨が本降りに差し掛かっていたこともあるのかもしれないけれど。
JRと東武 “観光客奪い合い”の歴史とは?
JR日光駅から日光の中心地に向かって5分ばかり歩いていくと東武日光駅である。JRの日光線と東武の日光線は、鹿沼・今市あたりから並行して走っていて、途中でもつれるように交差しながら日光を目指す。先に終着を迎えるのがJR日光線で、ほんの少しだけ中心部に食い込んでいるのが東武日光駅だ。駅舎の構えとしてはJRのほうが格上の趣だが、大きさでいうと圧倒的に東武日光が上回る。開業は東武が昭和に入った1929年で、約40年遅れている。
この折り重なるようにして建っている日光のふたつの終着駅は、熾烈な“観光客奪い合い合戦”を展開してきた宿命のライバルであった。ライバルといっても、JR(かつてはもちろん国鉄である)が優位に立っていた時代はほとんどなく、開業時より浅草からの直通電車を走らせていた東武の圧勝である。戦後になってから国鉄サイドもようやく電化させて上野発の準急(のち急行)「日光」を運転して対抗しようとしたが、1982年に廃止されて事実上の白旗宣言。今ではJRから東武に直通する特急があるくらいだから、その立場の差は言うまでもない。
こうしてライバルというか後発の東武日光駅が国鉄日光駅から客を奪い続けてきたという歴史がある2つの日光の終着駅。少なくとも、客の奪い合いという歴史が成立するくらいに観光客の多い駅であったことだけは間違いない。明治以来、日光は日本を代表する観光地であった。
「緊急事態宣言が出てから、ずっとこういう感じですね」
ところが、JR日光駅も東武日光駅も、今はまったく客がいない。