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ネットカフェ難民の日常に迫る――誤魔化し続けた危機感の先にある暮らしの実態

『年収100万円で生きる-格差都市・東京の肉声-』より#1

いつか浮上できるはず……もがき続けて10年

 福島県東部の町に生まれた山北さんは、県内の工業高校を卒業後、都内の音楽系の専門学校に進学する。時代は就職氷河期の真っただなか。友達を含め、はなから正社員での就職を諦めていたと話す。

「当時、学校から紹介される求人は1年更新の契約社員ばかりで、手取り15万円程度でした。バイトと差がないなら、自由度の高いほうがいい。時給がよかった居酒屋のアルバイトをこなし、終われば麻雀、休日はパチンコという太陽に背を向けた生活を送っていました」

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 定職に就かず、若さを消費する日々。将来への不安が芽生えたこともあったが、一時の甘い誘いに乗ってしまう性格だったと振り返る。

「先輩が経営するダイニングバーでバイトとして働き、『2店舗目はおまえが店長だな』と言われて信じていた時期もありました。でも、ある日出勤したら急に店がなくなっていた。電話にも出ない、給料も振り込まれない、完全なる夜逃げでした。それから不安定なバイトという身分に嫌気がさして昼の仕事を探したのですが、もう20代後半で夜の仕事しか経験のない僕を、雇ってくれる会社はなかなか見つかりませんでした」

 実家に戻ることも考えたが、脳梗塞の後遺症で介護が必要な母、東北震災の影響で失業した父、この2人を同居する妹夫婦が支え、山北さんの帰る場所はなかった。その後、知人の紹介で飲食店の職を得たが、移り変わりの激しい飲食業界、潰れてはまた次の店でアルバイトを繰り返すうちに、山北さんは30歳になろうとしていた。彼に残ったのは、ギャンブルでつくった300万円の借金だけだった。

稼げる仕事を病で失い漂流生活に転落

 焦燥感に駆られ、求人情報を眺める日々の中、「寮完備」をうたう建設会社の求人情報が目にとまった。再び迫っていたアパートの更新費用を支払う余裕はなく、迷う暇はなかった。家具も家電も処分し、千葉県市原市の建設会社へ身ひとつで飛び込んだのだ。

「これまでにつくった借金の返済が苦しかったので、家を捨てて住み込みで働くことにしました。期間工なら、寮で暮らせてメシもついている。会社の寮……といっても2階建てのプレハブですが、ひとり暮らしをするには十分な設備が整っていました。現場の仕事は先輩にシゴかれっぱなしで辛かったけれど、雇用先が潰れる心配を抱えて生きるよりはずっと楽な環境でしたね」