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別の道を示してくれた友人の存在

 そんな私に別の道を示してくれた人がいた。中途視覚障害者の友人、上鍛治公博氏だ。彼は外出支援制度を利用する権利を巡って、行政を相手取り数年間訴訟を続けている。弁護士をつけようという団体からの申し出を断り全て1人で陳述してきた。彼にとっての政治や制度とはあくまで自分の権利を守るために関わらざるを得ない生活の一部であり、特定の党派に属することではない。

 意外に思われるだろうが、彼は全ての人に対し驚く程温厚である。その目の前の人と、制度の問題点を厳しく追及しているという人物像がどうしても重ならない。しかし、彼にとってはその2つは矛盾するものではないと言う。

「ヘルパーさんも駅員さんも、過酷な環境で一生懸命働いておられます。僕ら障害者と種類は違えど大変な苦労をされているのは同じです。苦しい者同士苛めあっても何にもなりません。私は彼らと対立するより、生活上の問題を生み出す制度の構造を正したいです。」

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 目から鱗だった。以来、私も周囲に当たる前に「どうしたら根本的な解決に繋がるか」と考えるようになった。

障害者2人の経験から提案したいこと

 2人の経験から参考にしてほしい点はいくつかある。

 まず、身近な人を大切にすべきだ。身近な人を苛めて満足してしまえば、より良い政治や制度のあり方を考える貴重な機会を失う。

 そうする代わりに、マジョリティが、生活する上での不便や悩みを、仮に個人的で小さなものに感じられても、もっと気軽にこまめに発信すべきだ。それは立派な政治参加だ。そういった発信が増えていけば、「政治=マイノリティのもの」という印象は消え、それにより更に皆が発言しやすくなる。

©iStock.com

 何も政治を狭く捉える必要はない。首相が犬を撫でる動画の是非、どの党を支持するか等は政治のほんの一部に過ぎない。むしろもっと生活に直接関係する気づきを大切にしてほしい。

効果的に発信するには?

 また、それを効果的に発信するのも大事だ。例えば、満員電車や煩雑な行政手続きに対し以前から内心不満だった人は多いと思う。ではどこに言えば良かったのだろうか。

 実は私達が意見を言えるルートは選挙以外にも沢山ある。まず満員電車であれば国土交通省や経済産業省、行政手続きであれば総務省や内閣府や各自治体などにパブリックコメントをつけることができる。また地元選出の議員や、その問題を管轄する常任委員会に所属する議員に言うのもいい。

 前者は行政、後者は政治だが、両者は密接に結びついている。共通して言えるのは意外と柔軟に意見を吸い上げてくれるということだ。

 ハードルが高いと感じる人はSNSで呟くのもいい。今は一市民の発言が大きく拡散され、政治を動かしうる時代であることは検察庁法の顛末からも分かる。