コロナ禍で浮上した「人工呼吸器の優先順位」「命の選択」
最後に、一障害者として政治的意見を述べておく。
私は、障害者と健常者の間にある差異は決して無視できないと思う。そして違う者同士が一緒にいれば問題も起きる。
コロナ禍の中、多くの国で障害者が人工呼吸器装着の優先順位を下げられ、国内でも「命の選択」を議論しようという動きがあった(注2) 。居宅介護が止まったり、住む施設でクラスターが発生して大変な目に遭った障害者も多い。これを機に今後外出支援を制限するような制度運用がされ、再び障害者が家に閉じ込められ不可視化されてしまう事への不安もある。
しかし社会が良い方向へ変化する兆しも多い。
遠隔授業やテレワークの普及は、通勤通学の壁に阻まれてきた重度障害者が社会参画する大きなチャンスである。寝たきりの人が分身ロボットを遠隔操作して行う接客サービスも本格的に実用化されていくかもしれない。また、映画館に代わり登場したオンライン鑑賞会は障害の有無を超えて盛り上がれる素晴らしい文化だ。
これらは、制度や基準や規格を策定する行政や政治の影響も受ける。従って、障害者と健常者が共に参画しより良い仕組みを作っていく必要がある。
上鍛治氏が教えてくれたこと
私は最近、障害者も健常者も同じ社会に属する以上、協力し合う仲間同士だと思うようになった。それは上鍛治氏のおかげだ。彼はいつも憎しみで曇りがちな私の目を晴らす。彼の目はどこまでも優しく、しかし決然とした意志を湛えている。その視線はあくまでより良い未来にのみ注がれている。
「今日は改めて取材頂き僕も勉強になりました。ありがとうございます。あなたが書いた記事もいくつか読みました。とてもいいですね。」
彼は最後まで謙虚で穏やかだ。しかし控えめにこうも付け加えた。
「文春さんのサイト、視覚障害者は初見だと少しだけ読み辛さがあります。『今どの記事の何編の何Pにいるか』『次ページに行くボタンがどこか』を見失いがちです。広告の関係で記事を数Pに分割するのは仕方ないと思います。その中でも若干工夫の余地はあるかもしれません。」
私もこうして襟を正される側になる時もある。個人間での対立や攻撃のためでなく、皆にとって少しでもベターな仕組みを探るために、誰もが指摘し指摘され、そして時には助け合う。とても地味で永遠に終わりがなく徒労とすら感じられる営み。それでいてとても大事なもの。それが政治ではないだろうか。
注1…… 自立ステーションつばさ自分史集「今日ですべてが終わる 今日ですべてが始まるさ」p.140、木村雅紀「自分の差別性と向き合うこと」より。なお、木村雅紀氏は木村英子参議院議員の夫である。
注2…… 大阪大学招聘教授の石蔵文信医師が発案した「集中治療を譲る意志カード」。