昭和34年(1959年)創刊の総合週刊誌「週刊文春」の紹介サイトです。最新号やバックナンバーから、いくつか記事を掲載していきます。各号の目次や定期購読のご案内も掲載しています。

2020/06/21

『笑点』のディレクターってどんな仕事?

中田 そうですね。バラエティとはいえ、やっぱり番組を創るのは好きでしたし、異動後しばらくして『笑点』の担当になったことも大きかったです。他のバラエティ番組とは違って、『笑点』とはめちゃくちゃ相性が良かったんですよ。

――それは、どんな点が?

中田 噺家さんたちの世界が、ドラマと近かったからかもしれません。テレビである以上、偶然の要素は必ずあるんですが、師匠たちがもともと持っている芸というのは、ドラマと同じで完璧に作り込んでいるものなので、だから入りやすかったのかな、と。それと、『笑点』はすごくオープンで、アットホームな雰囲気なんです。たとえば、師匠たちの楽屋は大部屋で、全員一緒なんですよ。

――意外ですね! 皆さん個室なのかと思っていました。

桂歌丸さんの“卒業記者会見”での笑点メンバー(2016年) ©時事通信社

中田 寄席の楽屋は大部屋なので、たぶんそれと同じにしているんだと思います。逆に部屋が分かれちゃうと、師匠たちもどうしていいのかわからない(笑)。楽屋はスタッフも出入り自由なので、時間があるときはみんなでワイワイおしゃべりしていて、そんな雰囲気がすごく楽しくて。私はそれまで落語とは縁がなかったんですが、寄席に行くと師匠たちが喜んでくれることもあって、よく通うようになりました。

――ちなみに『笑点』のディレクターというのは、どんな仕事なんでしょうか?

中田 実は、ほとんどやることがないんです(笑)。編集はするんですが、これまでに積み上げてきた番組の“型”もあるので、そんなに大変ではなくて。基本的には師匠たちのお相手と言いますか、現場の雰囲気作りが仕事です。だから楽しかったのかもしれないですね。

ディレクター35歳限界説

――そんな充実した日々を過ごされていたのに、なぜ退社を決意されたのですか?

中田 結局、『笑点』には1年しかいられなかったんです。35歳のときに、すぐまた異動になって。今度は編成局という部署で、完璧なデスクワークでした。それまでは仕事中に座ることなんてほとんどなかったのに、朝から晩まで机にかじりついてタイムテーブルを決めたり、CMの料金計算をしたり。あとは経営側から下りてきた細かなルールを各部署に伝えたりするんですが、これが私には全く合っていなくて。何かの役には立ってるんだろうけど、この仕事は一体何なんだろうと(笑)。

 

――それがきっかけで退社を?

中田 「なんか私、すごくつまんない人間になってるな」と思ってしまって。このままずっと会社の言うことを聞いていたら、つまんないばばあになっちゃうな、と(笑)。だったら自分のやりたいことをやって、楽しいばばあになりたいと思いました。

――とはいえもう1度、制作に戻れるチャンスもあったのでは?

中田 もともとテレビ局には、「ディレクター35歳限界説」というのがあるんです。35歳までに売れないと、現場から離れなくてはいけないという“暗黙の了解”ですね。そのタイムリミットは全員に平等にやってくるんです。センスの面でも体力の面でも、やはり若くないとできない仕事ですから。