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37歳で日テレ退社 “落語小料理屋”の女将が振り返る「私が『笑点』のディレクターだったとき」

中田志保さんインタビュー #1

2020/06/21
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中田 実は、その仕事があまりにも楽しかったので、1日でも早く働きたくて大学を中退しようかとも考えたんです。でも、現場にいた先輩たちに、中退と卒業では将来ものすごく差がつくからと。あとは、映画やドラマの修業をするなら、フリーでやるより、きちんとお給料をもらえる職場でやったほうがいいよ、とも言われて。それでテレビ局を受けようと思ったんです。

『マイ☆ボス マイ☆ヒーロー』『ハケンの品格』助監督として

――そのアドバイス通り、大学卒業後は制作職で日テレに入社されました。配属先もドラマ班ということで、早速好きな仕事をされていたんでしょうか?

中田 うーん、好きな仕事でしたけど、「辛い」が9割、「楽しい」が1割くらいでしたね(笑)。

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――辛いというのは、やはり体力的な部分で?

中田 そうですね。当時のテレビって、朝5時集合、夜1時終了みたいな世界だったので……。編集所には32時とか書いてあったりして、若いのに遊びにも行けない。撮影中は周りにコンビニもないようなスタジオにずっと泊まりこんで、寝るときも人と一緒ですから。

――その頃に手がけられたのはどんな作品ですか?

中田 『マイ☆ボス マイ☆ヒーロー』、『ホタルノヒカリ』、『ハケンの品格』などの作品に助監督として入りました。いわゆるADですね。仕事としては、ディレクターの意志を役者さんに伝える立場なので、常に板挟みで。「自分だったらこうしたい」という思いを表現できなかったのが、特にきつかったですね。撮影が全て終わるオールアップの日が近づいてくると、仲の良い衣装さんと「マジック10」「マジック9」と、密かに残りの日数を数えたりしていました(笑)。

「半分嘘で半分本当」のバラエティへの戸惑い

――そこからディレクターになるまで何年かかったんでしょうか?

中田 私は9年かかりました。でも、その辛い“修業”が済んで、ようやくディレクターになれたと思ったら、わずか1年でバラエティに異動になってしまったんです。タイミング的にもまさか異動するとは思っていなかったので、それこそ目の前が真っ暗になりました。

 

――ドラマとバラエティでは、仕事の内容も全然違うものですか?

中田 ドラマは完全に作り込んだ世界を見せるわけですが、バラエティは「半分嘘で半分本当」という世界です。なので、ドラマと同じ感覚でバラエティを作ると、すごく不自然な感じになってしまうんです。バラエティに移ってからは、そのことをよく指摘されたんですが、正直「いまさらそんなこと言われても」と(笑)。

――それでもそのときは、会社を辞めようとは思わなかった?