東京・秋葉原駅から徒歩数分の路地にある小料理屋「やきもち」。美味しい日本酒や女将の手料理を味わいながら、寄席で活躍中の噺家の落語を楽しめるのが、このお店の特徴だ。

「落語が聞ける小料理屋」という、一風変わったお店を切り盛りするのは、女将の中田志保さん。なんと、彼女はかつて『笑点』のディレクターを務めていたのだという。東京大学教養学部を卒業後、日本テレビに入社し、ドラマやバラエティ番組のディレクターとして活躍していた中田さんは、37歳のときに退社。この「やきもち」をオープンした。

『笑点』のディレクター時代は、仕事が楽しくて仕方がなかったと語る中田さんは、なぜ会社を辞め、小料理屋を開くことを決意したのか。“シフトチェンジ”の舞台裏と、ディレクター時代の思い出について聞いた。(全2回の1回目/後編に続く

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――「やきもち」をオープンされてから約3年半、ここまでの日々をどのように振り返っていらっしゃいますか?

中田 なんかもう、しっちゃかめっちゃかですね(笑)。よくここまで来られたなっていう感じです。たとえて言うなら、豪華客船から手作りのイカダに乗り換えたような日々で、荒波が降りかかってきても、そのまま突き進むしかないという。今でも毎日がサバイバルです。

――さきほどお見かけしたのですが、お店の暖簾には「桂歌丸より」の文字が入っていますね。歌丸さんからのプレゼントですか?

中田 そうですね。開店祝いとして、歌丸師匠が「自分の名前で好きなものを作っていいよ」と仰ってくださって。それで暖簾を。

 

――のぼりには春風亭昇太さんの名前がありました。

中田 昇太師匠も「何でも好きなものを買っていいよ」と仰ってくれて。そのとき、本当は冷蔵庫とかが欲しいな、と思っていたんです。でも、昇太師匠のお金で家電を買うのはさすがに違うかな、と(笑)。それでのぼりをお願いしました。

大学を中退しようかとも考えていた

――中田さんは東大卒業後、新卒で日本テレビに就職されていますが、そもそもテレビ局で制作の仕事をしたいと思ったのは、いつ頃からだったんでしょうか?

中田 テレビ局に入りたいと思ったのは就職活動のときなんですが、その前から映画の現場でずっとアルバイトをしていたんです。1年の3分の1から4分の1ぐらいは、そこで働いていました。最初は『ぴあ』に求人が載っていて、それを見て行ったのがきっかけで。その後もフリーの日雇いで、照明部や演出部のアシスタントをしていました。