東京・秋葉原駅から徒歩数分の路地にある小料理屋「やきもち」。美味しい日本酒や女将の手料理を味わいながら、寄席で活躍中の噺家の落語を楽しめるのが、このお店の特徴だ。
「落語が聞ける小料理屋」という、一風変わったお店を切り盛りするのは、女将の中田志保さん。なんと、彼女はかつて『笑点』のディレクターを務めていたのだという。東京大学教養学部を卒業後、日本テレビに入社し、ドラマやバラエティ番組のディレクターとして活躍していた中田さんは、37歳のときに退社。この「やきもち」をオープンした。
会社員としての“望まぬ異動”をきっかけに、退社を決意した中田さん。しかし、独立後にはまた別の現実に直面したという。(全2回の2回目/前編から続く)
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――会社に「辞めます」と伝えたときは、引き留められましたか?
中田 いえ、それが全く(笑)。おそらく小さな会社だと、一人でも欠けると大変なので引き留められたりするのかもしれないんですけど、日本テレビは大きな会社なので、私の代わりはいくらでもいるんですよ。だから、「辞めないでほしい」とかは一切なかったです。
――なるほど……。ただ、テレビ局というのは、たとえば収入面でも、一般の企業と比べたらかなり良い方ですよね。そうしたものを捨てて、外に飛び出すことへの不安はなかったですか?
中田 もともとあまりお金を使うタイプではなかったので、そこの不安はありませんでした。ずっと制作の現場にいたので、忙しいというのもあってほとんど買い物もしたことがなくて。あと、家にもほとんど帰れないので、ずっと家賃の安いところに住んでいたんです。これは私だけじゃなくて、ディレクターの同期の友達でも、学生時代のアパートにずっと住んでる、みたいな人が多かったです。結婚を機にようやく引っ越した、ぐらいの感じで。
――収入ではなく、「楽しい仕事をする」という方を選ぼうと?
中田 あとは自由でいたい、というのもありました。自分で何をするか選びたかったんです。会社員になってから、ドラマからバラエティに行ったのもそうですし、『笑点』から編成に行ったのもそうなんですけど……初めてのところに行って、2、3年やって要領もわかってようやく楽しくなってきたと思ったら、また別のところに行く、という繰り返しが嫌になってしまったんです。
オープンから2カ月で「パタッと人が来なくなった」
――退社後はすぐにこのお店をオープンされていますが、売上としてはすぐに軌道に乗りましたか?
中田 ぜんぜんです。最初は友達とか昔の知り合いが来てくれるので、オープンしてから2カ月間ぐらいはけっこう忙しかったんですけど、それが終わったらパタッと人が来なくなってしまって。一人もお客さんが来ないときは、「これが現実なんだ……」と思いました。結局、初めて自分の生活費を口座に振り込めたのが、開店してから10カ月後くらいでしょうか。
――その頃は、お客さんを呼ぶためになにか対策はされたんでしょうか。