「拉致被害者にこだわらず、帰国できる人から帰国させるべきだ」
私が記憶しているのは、冒頭に書いた2014年の神奈川での集会でのことだ。
この年の5月、日本と北朝鮮が合意に達した。交渉の開催場所だったスウェーデンのストックホルムにちなんで「ストックホルム合意」と呼ばれている。
北朝鮮は、「拉致問題は解決済み」としてきた立場を変え、「特別調査委員会」を設置し、拉致被害者を含む日本人行方不明者の全面的な再調査を行うと約束した。2002年に日朝首脳会談が行われ、拉致被害者5人の帰国が実現して以来の大きな動きだった。
これによって、北朝鮮に残留している日本人妻や、失踪者が帰国する可能性が高まった。日本政府は、拉致被害者の全員の帰国が先だと主張していたが、滋さんは「差別してはいけない。認定拉致被害者の優先帰国にこだわらず、帰国できる人から帰国させるべきだ」と語った。拉致被害者家族の象徴である滋さんが、こう率直に語ったことに驚いた。
「北朝鮮への制裁を緩めるべきだ」
日本政府は、米国と歩調をあわせて北朝鮮への制裁を最大限まで強化した。これについて滋さんは「交渉のためには制裁を緩めるべきだ」と主張し、関係者を当惑させた。
『めぐみへの遺言』(2012年、幻冬舎)に、滋さんの話した言葉が残っている。「裁制制裁といっても全然解決していないし、制裁の強化をと救う会は主張するけれど、金正日が亡くなって(※死去したのは2011年12月、筆者注)今交渉のチヤンスが巡ってきたんだから、強化するより緩めるべきです。今強化することは、交渉はしたくないという意思表示になるからすべきでない」(194P)。
滋さんは、北朝鮮との交渉に、自分なりの見解を持っていた。
「拉致を理由に朝鮮学校に補助金を出さないのは筋違いだ」
拉致問題を理由に行われたヘイトスピーチにも反対した。対象となった朝鮮学校の生徒たちに罪はない、とも繰り返し語っていた。前出の本にあるので、引用しよう。
「生徒には日本永住権がある。間違ったとんでもないことを教える学校には出さないというのは解るけれど、拉致を理由に朝鮮学校に補助金を出さないのは筋違いだと思います。単なるいやがらせです」(199p)
「制裁制裁ばかり言っていて、そのうち北朝鮮に関するいろいろなことも敵視するようになってきた。(中略)お互いに嫌がらせをやりだしたら、きりがない」(196p)
拉致には憤りを隠さなかったが、 それだけでは交渉は進まないと冷静に考えていたことがうかがえる。
「ウンギョンさんともう一度会いたい」
滋さんは、めぐみさんの娘にあたるキム・ウンギョンさんと2014年にモンゴルで再会している。その後滋さんは「ウンギョンさんともう一度会いたい」と希望していたという。めぐみさんと顔つきがよく似ていたからだが、日本の世論は、北朝鮮に厳しい。
そのため、自分の希望を封印していたという。敵視されることの多い朝鮮学校の生徒たちとウンギョンさんの姿が、二重写しになっていたのかもしれない。
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晩年は川崎駅前にある、ウルトラマンの怪獣をテーマにした酒場を好んで訪ねた。私はご一緒する機会がなかったものの、滋さんは少年のようにはしゃぎ、時に深酒することもあったと聞いた。
拉致問題での強硬姿勢で政治家として名をあげた安倍晋三首相は、滋さんの訃報に「断腸の思い」と語った。問題解決の意欲があるのなら、滋さんの言葉をもう一度、読み返してみてはどうか。