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 実は、これら目撃談の時期に、泉の広場の「噴水」は存在していなかった。1970年の広場完成時には設置されていた噴水だったが、1987年に地下街が「ホワイティうめだ」として改装されるに伴い、池のみを残して撤去。そして2002年10月、広場が再改装された際、イタリア風の噴水として復活したのである。

 赤い女の思い出が語られるようになったのは2002年頃から。彼女がよく出現していた時期がその数年ほど前であり、再改装後に目撃されたという例はほぼ聞かない。つまり赤い女は、池だけがあった泉の広場に現れ(1999年前後)、噴水が再設置された頃(2002~05年)に姿を消していった。それと同時に、この怪談が人々の口にのぼるようになったのだ。

 風水では水の流れがない空間は「気が滞る」とされる。1999年前後、泉の広場の池は、循環装置を働かせていただろうが、噴水のようなダイナミズムは無かった。ただでさえ圧迫感の強い地下通路において、それは暗く澱んだ印象を与えていただろう。

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※写真はイメージです ©iStock.com

“地下に作られた噴水”という虚構性

 もともと自然の泉の代替物である噴水は、地下に置かれることで、よりその虚構性を増す。冒頭に述べた通り、そんな仮想空間だからこそ、待ち合わせスポットとして最適ではあった。しかしそうした不安定なバランスは、噴水の水が澱めば、たちまち危うさを露呈してしまう。実際、当時の泉の広場は、援助交際や出会い系などの待ち合わせにも利用された、都市の物陰のような場所だった。

 その雰囲気は、人々に「赤い女」という異質の存在をより怖ろしげに見せる効果をもたらした。また「赤い女」自身も、むしろそうした空間にこそ、自らの居場所を求めていたのかもしれない。だからこそ噴水の復活後、広場からその姿を消したのではないだろうか。

 そして2019年、泉の広場の噴水は撤去された。同じく待ち合わせスポットとして有名だった名古屋・栄「クリスタル広場」の噴水も、2016年に無くなっている。携帯電話の普及により、そもそも「待ち合わせ」の必要性が薄れつつある昨今。地下街という無機質な空間の目印として、待ち合わせスポットとして機能していた地下噴水は、その役目を終えたのかもしれない。

 そして現在、泉の広場に設置されたのは「Water Tree」。かつての噴水イメージを継承し、夜の時間帯には、水の揺らぎをLEDによって表現しているのだという。これはこれで、地下噴水とも違う、新しい虚構性を獲得したとも考えられる。はたしてこの空間に、また新たな怪談は生まれるのだろうか。

2019年、約半世紀にわたり親しまれてきた噴水は撤去された。新設された「Water Tree」は、枝と葉で水をイメージしているという ©吉田悠軌