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「人格否定発言」に至ってしまった理由
皇后陛下は即答はなさりませんでしたが、『外交という分野では、外交官として仕事をするのも、皇族として仕事をするのも国を思う気持ちに変わりはないはず』としたうえで『雅子さんのことは僕が一生全力でお守りしますから』と心のこもったお言葉を頂いたことで、皇后陛下はご結婚を決意されたというのは、あまりにも有名な話です」(同前)
実は天皇陛下が「雅子のキャリアや、そのことに基づいた雅子の人格を否定するような動きがあったことも事実です」と述べ“お世継ぎ”出産のために外国訪問を制限する動きがあったことを示唆した、いわゆる「人格否定発言」は、スペインの招待によって当時皇太子だったフェリペ国王の結婚式に参列することなどを目的に、スペインなど欧州3カ国歴訪の旅に出られる直前の、2004年5月10日に行われた記者会見で飛び出したものだ。
「前年の暮れに帯状疱疹のため倒れられた皇后陛下は、なんとか体調や環境を整えて3カ国を訪問したいとお考えだったと言われています。それが果たせなかった皇后陛下の無念の思いが、単身での渡航を前にした天皇陛下のご発言からはにじんでいました。
ですから、2008年サラゴサ国際博覧会の開催に際してスペインからご招待があったときには『今度はなんとしても2人で訪問したい』とお考えになった天皇陛下が、直前のブラジル訪問については半年も前に単身で行かれることを決めながら、スペインについてはぎりぎりまで同行できるかどうかを模索し、ブラジルに対する非礼を批判されたこともありました。ただこれは、それだけ両陛下のスペインご訪問への思いが当時、強かったことの裏返しだったのでしょう」(同前)