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2020/06/13

テレビから“消えて”山田邦子が挑戦してきたもの

 もっとも、山田がテレビで頂点をきわめた時期は短かった。その後、90年代半ばを境にレギュラー番組が減っていくうち、手のひらを返したようにバッシングも受けた。それでも彼女は新たな挑戦を続ける。2000年代にはCS放送で、女性たちの性の悩みに答える番組『パーフェクト・H』(「・」は正しくはハートマーク)に出演した。テーマがテーマだけにオファーを受けた当初は迷ったが、女性スタッフから「悩んでる女性は多いのに、それに答えられるのは邦子さんしかいない」と言われては、引き受けるしかなかった。すでに結婚もして40歳もすぎ、《いまの山田邦子ならできるかなって決意しましたね》という(※1)。

 1960年、昭和35年生まれの彼女は、昔から5や10というキリのよい数字が好きだったという。40歳になった2000年には、結婚だけでなく、長年の夢だった舞台で座長デビューを果たし、合唱団への参加も始めた。同時期にはまた長唄の杵屋勝之弥に入門し、稽古を重ねた末に芸能生活40周年を迎えた昨年、名取となり「杵屋勝之邦」を襲名した。『笑点』で見せた、いまだ衰えない芸も、こうした元優等生らしい努力のたまものなのだろう。昨年にはまた、40周年記念舞台『山田邦子の門』も開催し、前後してデビュー以来所属してきた太田プロも退所している。さらに60歳を前に今年2月には、YouTubeに「山田邦子 クニチャンネル」を開設、芸能界の裏話などフリートークを中心に配信をスタートさせた。

 山田はデビューまもないころより、レコードもたびたび出してきた。当人は歌謡曲路線を志向していたにもかかわらず、プロデューサーに大瀧詠一や細野晴臣ら先鋭的なミュージシャンがついたため、「邦子のかわい子ぶりっ子」「哲学しよう」などラップの元祖のようなとんがった楽曲に挑戦するはめになる。これについて彼女は後年、《どうせやるからには「そうなんだ、これが新しいんだ」と思って、勉強だと思って当時は楽しくやりましたけど。……でも結局、誰か後からついて来た?(中略)だから孤独よ(笑)》と振り返った(※1)。音楽活動だけでなく、山田は女芸人としても、短大時代に親友から一緒にテレビに出るのを断られて以来、ひとりで道を切り拓いてきた。いまや女芸人と一口にいっても、そのあり方はじつに多彩だ。それもやはり、お笑いに軸足を置きつつ活動の幅を広げ続けてきた山田邦子の存在あってこそだろう。

2009年にリリースされたベスト盤『ゴールデン☆ベスト 山田邦子』

※1 『ダカーポ』2002年9月4日号
※2 山田邦子『邦子の「しあわせ」哲学』(海竜社、2003年)
※3 『週刊朝日』1985年4月5日号
※4 『週刊明星』1991年5月2日号
※5 『ザテレビジョン』1990年2月16日号
※6 『女性自身』2009年11月24日号

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