見落とされた“お笑い第2世代”
『ひょうきん族』の終了から間を置かずして1989年10月には、同じくフジテレビで冠番組『邦ちゃんのやまだかつてないテレビ』(『やまかつTV』)がスタートする。このころから90年代にかけては、『やまかつTV』のほか『MOGITATE!バナナ大使』(TBS系)など多くのテレビ番組でメインを務め、女性タレントとして頂点をきわめた。前年の1988年には、NHKの「好きなタレント調査」で初めて女性タレント1位となり、以来8年連続でトップに立ち続ける。1990年に30歳を迎えたときには、『やまかつTV』で、誕生日が同じ森口博子(当時、バラエティもできるアイドル=「バラドル」として人気を集めていた)とともにレギュラー陣から盛大に祝われていたのを思い出す。
お笑いの歴史において80年代末から90年代初めというと、マンザイブームの産物である『ひょうきん族』が終わり、とんねるず、ダウンタウンやウッチャンナンチャンらいわゆる「お笑い第3世代」の台頭した時代として語られる。だが、一方で、この時代が山田邦子(お笑い史では「第2世代」に位置づけられる)の全盛期だったという事実は、見落とされがちな気がする。いまにして振り返れば『やまかつTV』は、コントだけでなく音楽やドラマなども盛り込んだ、字義どおりのバラエティで、テレビ史的にもきわめて重要な番組だと思う。
「愛は勝つ」「それが大事」「さよならだけどさよならじゃない」……
音楽の面では、KANの「愛は勝つ」、川村かおり(のちカオリ)の「神様が降り
番組からはユニットも続々と生まれた。山田をメインボーカルとして、サックスにMALTA、ドラムに村上“ポンタ”秀一、ベースに伊藤広規、ギターに原田喧太、そしてバックボーカルとパーカッションには永井真理子と豪華メンバーを集めた「やまだかつてないバンド」に始まり、山田が当時の人気アイドルデュオWINKのモノマネをするにあたっては、一般から相方を募集してオーディションも行なわれた。こうして選ばれた広島の高校生・横山知枝と「やまだかつてないWINK」が結成される。1991年2月には、KANが作曲、山田が作詞したやまかつWINKによる卒業ソング「さよならだけどさよならじゃない」、さらに翌月には番組の使用楽曲を収めたアルバム『やまだかつてないCD』がリリースされ、いずれもヒットした。同アルバムを企画した番組プロデューサーの小畑芳和は、《視聴者に『この曲、いいと思わない?』と提案するような形で音楽を取りあげてきました》と語っている(※4)。ちょうどこのころ、『やまかつTV』の前番組であった『夜のヒットスタジオDELUXE』のほか、『ザ・ベストテン』や『歌のトップテン』といった各局で長らく続いた歌番組が軒並み終了していた。『やまかつTV』はその穴を埋める役目も担ったともいえる。