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「ヤクザはこんな立派な人たちなのか……」暴力団取材をした私が舞い上がってしまった理由

「潜入ルポ ヤクザの修羅場」#8

2020/06/21

 1989年、多大な犠牲を払って五代目体制が誕生してからというもの、山口組はマスコミをシャットアウトし、この掟を破った幹部や組員を徹底的に処分した。このとき現場を取材する記者はいったいどのような心持だったのだろうか。

 新宿歌舞伎町の通称“ヤクザマンション”に事務所を構え、長年ヤクザと向き合ってきたからこそ書ける「暴力団の実像」とは―― 著作「潜入ルポ ヤクザの修羅場」(文春新書)から一部を抜粋する。

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 以後、ヤクザジャーナリズムは急速に衰退し、多くの夕刊紙が潰れた。マスコミが暴力団から離れていくなか、逆風を逆手にとって『実話時代』が暴力団専門誌へと変貌し、一定の成功を収めていた。しかし、対岸の火事として山一抗争を見ていた山口組以外の暴力団たちも、マスコミ対応に関しては慎重で、『実話時代』の取材になかなか応じてくれない。暴力団ルートを開拓し、新しい取材先を探してくるのは当時私の役目だった。

任俠道に罹患

「ヤクザ取材をとってこい!」

 編集部からそう命令されても、どうしていいか見当が付かなかった。とりあえずめぼしい組織のトップに片っ端から手紙を書いた。暴力団トップに出した手紙は、そのほとんどが無視された。それでも30通以上出したので、4組織が取材の許可をくれた。

 取材許可をくれたのは、そのすべてが西日本の組織で、それも全員が戦中派だった。予科練崩れや特攻隊の生き残り、人間魚雷・回天の乗組員だった人もいた。

©iStock.com

 写真は自分で撮れるので、カメラマンは連れず、ライターと2人で取材に出かけた。親分たちは、クレームでぶつかり合った山口組幹部たちとなにもかもが違った。剛胆で、気さくで、礼儀正しく、紳士である。通常では知ることのできない社会の深層に触れた心地で、私は完全に舞い上がった。そのテンションのまま記事を作っていたのだから、私同様の世間知らずが読めば、ヤクザに憧れただろう。ある程度世の中のことを知った人間なら、記事の虚像を楽しむことが出来るかもしれない。しかし、書いてあることをそのまま鵜吞みにすれば、ヤクザ=男の鑑となってしまう。

職業としての任侠系右翼団体

 とにかく……親分たちはなにからなにまでまっとうだった。たとえば親を大事にしろ、女房を大切にしろ、噓をつくな、約束を守れ、他人の損得抜きで行動しろ……どこをとっても反論の余地がなかった。

〈ヤクザはこんな立派な人たちなのか……〉

 言動のすべては道徳的で、正当なものに思えた。印象に残っているのは、誰もが「地域のために、日本のために力を尽くしたい」と力説していたことだ。職業としての任俠系右翼団体が存在することを私は知らなかった。