新宿歌舞伎町の通称“ヤクザマンション”に事務所を構え、長年ヤクザと向き合ってきたからこそ書ける「暴力団の実像」とは―― 著作「潜入ルポ ヤクザの修羅場」(文春新書)から一部を抜粋する。
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「ほら、お前の分だ。とっときな」
夢見心地に追い打ちをかけたのが、暴力団たちの豪華な接待だった。こうした舞台装置の中で任俠道を説かれると、ヤクザという素晴らしい生き方をすれば、こんなにいい暮らしが出来るのだ、という誤った方程式を植え付けられる。
暴力団組織を取材した後、食事をごちそうになることが多い。ごちそうというのだから、当然、勘定は暴力団持ちだ。そればかりか、へたをすると、飲食のあとに女をあてがわれ、翌日、『お車代』なるものを渡される。これが壮絶な罪悪感を生む。最初にお車代をもらったのは、あるヤクザ専門作家からだった。稲川会の取材を終えて帰宅しようとしていたら編集部に電話がかかってきて、彼の自宅まで呼び出されたのだ。
「ほら、お前の分だ。とっときな」
最初は意味が分からなかった。手渡された茶封筒には、20万円の現金が入っていた。当時の私の月給より高額だ。翌日、編集部に戻って、すぐにことの次第を話し、現金を手渡した。
巧みに使われる袖の下
「いいじゃん、鈴木君、もらっとけば?」
いまなら「そうっすか」と平気でしまうかもしれない。原稿料で20万円を稼ぎ出すのは容易ではない。完全なる不労所得だが、自己申告しない限り絶対にばれない。暴力団の側が「金を渡した」というはずもない。その点、暴力団ほど信用できる存在はなかった。
結局その金は、編集部一同で均等に分けたように記憶している。20万円÷8人だから、2万5000円のボーナスだった。こんなときの社長はいつもみんなを引き連れ、その金で豪華な食事をおごってくれた。編集部員は当然、それぞれ家計の足しにしたはずだ。
これを断るのは至難の業である。なにしろ差し出されるタイミングが絶妙だ。それでも断ると「親分からの言づてなので、私が下手を売る(失敗する)ことになる」と言われる。それに本音を言えば、金をもらって困るヤツなどいない。黙ってしまえば、いきなり給料が倍になるのだ。加えてヤクザをヒーローと勘違いしている頃なら、罪悪感はあまりない。