六代目体制が発足してからの山口組は、これまで頑強に取材を拒否していた姿勢を改め、行事の一部……たとえば新年の餅つきなどをマスコミに公開した。その際、近隣の子供たちにお年玉を配ったと報じられたが、取材陣にも司忍組長名義で3万円、髙山清司若頭名義で1万円、合計4万円のお年玉が配られている。また、あらかじめ敷地に入るには氏名や生年月日を提出し、許可をもらわねばならない。セキュリティのためではあるが、「余計なことを書くなよ」というマスコミに対する抑止力にもなる。
インタビュー詐欺に遭遇
業界の悪習を利用した詐欺事件もあった。北海道のある組織から電話をもらったとき、えらい剣幕で怒鳴られた。
「この前取材した記事はいつ雑誌に載るんだ! 金も渡したじゃないか!」
調べてみたが、編集部にはその組織を訪問した人間はいなかった。2人組の男はどんちゃん騒ぎをしたあと、お車代をせしめて帰っていったという。丁寧に説明して納得してもらった。いったい偽者たちはどんなインタビューをしたのだろう。それだけが気になって仕方ない。
ポケットにしまったことが一度もない、とは言わない。私も何度か誘惑に負けた。こうした経験から、私は金の力が絶大で、同時にとても怖いものだと思い知らされた。たとえば、当日は相応の罪悪感があっても、翌日になるとそれが半減し、もう一日経つと、当日の10分の1程度しか後ろめたさを感じなくなる。
「今回はまぁいい。もらっておこう」
その蓄積は暴力団に対する遠慮に変換され、そのまま文章に反映される。
暴力団はお金の使い方をわきまえている
フリーライターになってから、そんな悩みもなくなった。ライターと暴力団の間に特別な関係がない限り、お車代を渡されるのは、まず間違いなく編集者である。暴力団は編集部とライターの関係を、雇い主と被雇用者だと見抜いている。媒体を持っている人間が強いと分かっているから、金の使い方を間違えない。
警察の一部も我々を寄生虫とみている節がある。業界全体でみれば完全否定出来ないのがもどかしい。先日も福岡県警の刑事から電話がかかってきて、「どうせ金もらってんだろ? 暴力団のいいなりなんだろ?」と、遠回しに言われた。刑事は軽い気持ちで探りを入れてきたのかもしれない。
「●●と●●(ともに出版社)は金でどうにでもなるって言われとるよ」
刑事の伝聞口調は、そのまま県警内部の考えだ。出版社が聞いたら腰を抜かすだろう。裏を返せば、その言葉は福岡県警の捜査能力がその程度しかない、という認識に繫がる。どちらにせよ、昭和の価値観で決めつけられるのは迷惑だ。