100回くらい「ありがとう」と言われたイベント
――島田さん自身、若い頃の孤独を救ってくれたのが文学であったと仰っているように、大きな声ではなくて、小さな声のある場所が、本のある場所だという気持ちが強いのですね。そしておのずと、「小さな声を起点」に仕事を始めるようになって。
島田 ええ、それが本の力というか、文学の力というか。
――ご著書『古くてあたらしい仕事』(新潮社)にも綴られていますが、家族小説を多く手がけた庄野潤三の作家案内『山の上の家』を出されたときに、小説の舞台にもなった庄野邸の一般開放イベントをしますよね。そこに300人が集まったという。夏葉社の目指している読者と出版社の近さを強く感じるエピソードですが、どうしてこんなに集まったんでしょうね。
島田 やっぱり、庄野潤三さんという作家とその世界が、読者と非常に近しい距離感だったということに尽きるんじゃないでしょうか。決して声を大にして何かを言う作家ではなかったし、政治的なことも発言しなかった。ただ、特に晩年の作品世界で発していた小さな幸福、日常の些細な出来事への慈しみ、そういった小さな声に、個人的な親しみをもつファンがたくさんいたということなんだと思います。ぼくもびっくりしましたけど、庄野邸イベントはこれまで4回やっていて、4回とも参加されている方が何人もいるんです。
――回ごとに違う部屋を見せてるとかじゃないんですよね。
島田 ええ、全く同じイベントなんですよ(笑)。仙台から4回連続でお越しになった方もいましたけど、何回でも愛される世界、作品というのは、理想的なものだなあと感じました。
――イベントには庄野家の方々もいらしたそうで、小説の登場人物に実際に会えるなんて、ファンとしてはたまりませんものね。
島田 みんな「フーちゃん、今どうしているの?」って、親戚の人たちみたいに話しかけていたりして。そして帰りには、参加者の皆さんからものすごく感謝されました。100回くらい「ありがとう」って言われました。
――いい話ですね、本当に。ちなみに『山の上の家』は思っていたくらいの売れ行きでしたか?
島田 企画したときは、これは厳しい仕事になるぞと覚悟していたんですが、想定を超えて、この6月には4刷になって、累計6000部になりました。長く売って、長く読まれる。そして人から感謝される。売り上げも立っている。理想的な仕事です。
――「ひとり出版社」を立ち上げられて10年。島田さんは「35歳まで生きられるとしたら、そこが自分の人生のピーク」と考えていたと書かれていましたが、今年44歳を迎えられるのですよね。
島田 だいぶ齢をとりました(笑)。むかしから常に年齢的な目標は立てるようにしているんです。そうしないと、ひとりの仕事は精神的にもきついし、そういう考え方をしていれば、そこから先の年齢からはそれまでの貯蓄で乗り越えられるかもしれないですし。従兄や友人たちが早くに亡くなっている経験も大きいですね。今は、65歳までは出版社を続けようと。10年先の53歳までは難しい本を読もうというのも目標。本は100冊つくろうとも思っています。
年齢の節目を意識するのは好きなんです。65歳になったらSwitchを買おうかとか……。ゼルダをやりたい(笑)。それまでは我慢しようと思っています。そうでないと、ぼくはちゃんとしないので。これが現在の最終目標かもしれないです(笑)。
写真=末永裕樹/文藝春秋
〈【前編】31歳の転職活動50社不採用のあとで――「孤独を支える」ひとり出版社の仕事 を読む〉
しまだ・じゅんいちろう/1976年高知県生まれ。東京育ち。日本大学商学部会計学科卒業。大学卒業後、アルバイトや派遣社員をしながら小説家を目指していたが挫折。2009年9月に33歳で夏葉社を起業。ひとり出版社のさきがけとなり、2019年に10周年を迎えた。著書に『あしたから出版社』『90年代の若者たち』『古くてあたらしい仕事』などがある。