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国民が抱いている「被害者意識」

 私が問題だと考えるのは、こうした「わかりやすさ」に訴求したアピール合戦が、論理や原理原則によって動いているのではなく、国民にくすぶる「感情」によって動かされていると見ているからです。

 すこし事態を遡って考えてみましょう。

 新型コロナウイルスの感染拡大をめぐって、われわれ国民の生活は大きく様変わりしました。連日増え続ける感染者数、外出自粛に休業要請……。先行きの見えない日々で、不安が広がりました。

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 その結果、国民の意識は「とにかく強力な対策」を求める方向に極端に振れていきました。

 象徴的だったのは「緊急事態宣言」です。それまで小中学校の一斉休校に対してさえ「あまりに急すぎる」「過剰な対応だ」と批判が噴出していたのに、海外で行われた強制的な「都市封鎖」を目の当たりにすると、「生ぬるい対応ではダメだ」「罰則つきの強力な外出禁止政策が必要だ」と、それまで尊重していた原理原則が顧みられることもなく、一気に強力な緊急事態宣言を求めていきました。そもそも特措法改正の際には、メディアや野党は慎重論を強く訴えていたはずです。

 このように、2カ月前に起こった現象と同じような事態が、国家予算規模の財政支出をめぐって起きているように思えるのです。

©︎iStock.com

 それに加えて、今回は国民のなかには、国を加害者とする“被害者意識”が芽生えているようにみえます。

 海外からも嘲笑されたアベノマスクや、なかなか受けられないPCR検査など、政府の拙い対策が立て続けに起こった結果、「国のせいで感染が拡大した」「国のせいで自粛させられた」「自分たちは国の被害者だ」と思うようになった。国民が実態以上に「政府が起こした問題」と見るようになりました。

 新型コロナが問題となる前からあった「桜を見る会」や森友・加計学園問題、さらにはコロナ禍で発覚した黒川弘務・東京高検前検事長の賭け麻雀問題などで溜まった不信感も、その感情に大きく影響したのでしょう。

 今回の混乱を生み出した直接の“犯人”はもちろんウイルスです。国の対応があまりにお粗末に思えたこと、さらに政治スキャンダルが相次いだこともあって、国を加害者のように責めたのです。その結果、支持率が低下した安倍政権もなりふり構わなくなりました。