さらに、メディアもその動きに拍車を掛けました。「給付金が足りない」「迅速な支援が必要だ」といった意見が前面に出て、過去の有事対応との比較や、予算決定の背景を深く掘り下げる報道は二の次になった。
野党も冒頭で紹介したとおり、国民の意識に寄り添う政策を前面に打ち出し、論理が全く追いついていません。
被害者意識に突き動かされた国民がより大きな支援策を求め、与党が「わかりやすい」巨額な支援策を打ち上げる。そこには野党の冷静な批判も、メディアによる監視も脆弱だった。結果、強力な対策を求める声に歯止めがかからなくなっているのです。
「給付」には慎重だったはずが……
これほど大規模な財政支出になった原因のひとつは、そろそろ読者の手元にも届き始めているであろう定額給付金をはじめとした「給付」です。
なかでも、売上が減少した事業者を対象とした「持続化給付金」や、最大600万円の「家賃支援給付金」などで、特定の事業者や費目を中心に「貸し付け」ではなく「給付」の形がとられたのは異例です。
そもそも日本という国は、よくも悪くも「給付」に慎重な国でした。理由は簡単で、国が集めた税金を特定の企業や事業者や国民に給付で支援するのはあまり公平ではないからです。バブル崩壊後の金融機関等への公的資金の注入に対しても、当時の世論は軒並み批判的だったはずです。対象を細かく区切れば区切るほど、本当は根拠や論理が必要なはずです。
例外は、自然災害によって住宅を失った被災者の生活を救うために、阪神淡路大震災をきっかけに制定された被災者生活再建支援法です。ただこの法律でも、国が直接給付するのではなく、都道府県が相互扶助の観点から拠出した基金を活用するという建て付けになっています。
給付はそれだけ「例外的」なのです。にもかかわらず、今回の数々の給付金は根拠となる法律も作られていません。乱暴にいえば、国が勝手に決めてお金を配っているだけ。違法とは言えませんが、なぜ数多くある固定費の中で家賃だけなのか、なぜその金額なのか。その根拠は脆弱です。ここでも大した論理がないまま、話が進んでいきました。