コーダを描いた小説『デフ・ヴォイス』を読んで
元警察事務職員の荒井尚人を主人公に据えた本作は、過去と現在、ふたつの殺人事件がリンクしていくミステリー小説だ。
荒井はコーダとして生まれた。聴こえない両親や兄と異なり、家族のなかで聴こえるのは自分だけ。家族なのに、わかり合えない。そんな孤独感と常に隣り合わせだった。
故に、荒井はろう文化と距離を置いてきた。しかし、仕事に失敗したことを機に、唯一の技能でもある“手話”を活かし、手話通訳士として働くことになる。その矢先、荒井はひとりのろう者の法廷通訳を担当することになり、不可解な事件に巻き込まれていくことになる。
事件の真相が明らかになっていく流れは圧巻のひとこと。けれど、なによりも素晴らしいのは、ろう者やコーダ、手話の在り方、独特のろう文化などについて丁寧に描かれているところにある。
荒井の職業である手話通訳士。ろう者にとって彼のような存在がどれほど大切なものか、聴者はうまく想像することができないだろう。新型コロナウイルスの会見映像でも、会場にいたはずの手話通訳士の姿が映し出されていないことが大きな話題となった。手話通訳がなければ、ろう者に正しい情報が届かない。それなのに手話通訳士が軽んじられている。その原因は、聴者のろう文化に関する認識不足に他ならない。
ろう者にとっての手話はどういったものなのか、そして彼らはいかに聴者の世界で虐げられてきたのか。本作を読めば、その一端に触れることができる。ときに痛みを伴うほど切実な筆致に、涙する場面もあるくらいだ。
そして、コーダである荒井自身の葛藤についても深堀りされている。
ある人物が、荒井に問いかける。
“おじさんは、私たちの味方? それとも敵?”
この問いは「あなたはろう者? それとも(ろう者を理解できない)聴者?」と置き換えられる。けれど、荒井はうまく答えることができない。自分はろう者なのか、聴者なのか。何度も自問を繰り返してきたが、答えなど見つけられなかったのだ。
この荒井の葛藤は、まさにぼく自身が感じてきたことだった。
ところが荒井は、事件の真相へと近づくなかで、自分自身の生い立ちとも決着をつけることになる。ろう者への差別や偏見によって起きてしまった哀しい事件が解決へと向かうなか、荒井もひとつの答えを見出す。
“荒井は、ずっと考えていた。自分は、どちら側の人間なのか、と。”
荒井が辿り着いた答えは、まさに現実を生きるコーダが手にするそれとイコールだろう。複雑でややこしくて、なかなか理解されない。本作のラストでは、そんなコーダの胸の内が荒井によって代弁される。そのラストシーンを読んだとき、荒井はぼく自身なのだと感じた。
手話通訳士としてろう者たちと関わり続ける荒井。ぼくはひとりのコーダとして、これからも彼の生き様を追いかけていきたい。
●筆者プロフィール
五十嵐 大/いがらしだい フリーランスのライター・編集者。両親がろう者である、CODA(Children of Deaf Adults)として生まれた。現在、2冊の著書を執筆中。
https://twitter.com/igarashidai0729
●『デフ・ヴォイス 法廷の手話通訳士』
生活のため手話通訳士となった荒井尚人。ある時、彼の法廷通訳ぶりを目にした福祉団体の女性が接近してくる――。知られざるろう者の世界を描く感動の社会派ミステリ。書評サイト「読者メーター」で話題となり、シリーズ第二弾『龍の耳を君に』(創元推理文庫)、第三弾『慟哭は聴こえない』(東京創元社)も好評を博している。