信徒の声を封殺する聖職者たち
取材を通じて一つだけ疑問が残っていた。19年1月の一時期、弁護士の助言に応じてA神父の問題が表面化しかけたのはなぜか。「外圧ですよ」とある神父が語るのを耳にして、それは氷解する。
「実は、Cという70代の神父が、主任神父をしている教会に奉献されたお金を勝手に引き出したり司祭仲間や信徒から数千万円に及ぶお金を借りたまま返済せず、騒ぎになっていました。その最中、C神父が〈自分など可愛いものだ。A神父は億単位だ〉と言い逃れた。驚いた信徒たちが高見大司教に真相を明らかにするよう直談判していたのです」
この経緯が真実ならば、大司教区に自浄作用があったわけではないのだ。
実際、A神父が弁じた「K氏への貸付金に関する説明」を読み返すと冒頭、「C神父様の仲介で投資の話が合った(ママ)のですが、大司教も交えて相談し、お断りした経緯があります」と記されている。加えて、「自分もポケットマネーを預けて失敗したことがある」と話しているのを聞いた、という複数の証言に私は接している。K氏と長崎大司教区の容易には断ち切れない関係が醸成されていった源流の近くに、高見大司教自身も存在していたのだ。
長崎大司教区の日本人神父の9割は、市内の長崎カトリック神学院の寮で寝食を共にして司祭の道を究める。だから仲間意識が強いとされる。高見氏やA神父も、そうしたルートを辿って司祭となった。
司祭研修会でのパワハラが象徴しているのは、「信徒のための教会」を標榜しながらその実は、怪しげな儲け話に便乗して献金を使い込んだ神父の責任はそのままに、黙認できなくなった信徒の声を封殺する――聖職者たちの不都合な真実だ。そうした身勝手な特権が「神の代理人」に与えられていると誤解しているのではないのか。
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ここまで記した事実関係について、12項目にわたる質問状を長崎大司教区の事務局に6月22日の昼過ぎに送った(当然電話でも確認しており担当者は「もう(A神父の後任の)中濱敬司事務局長に転送しました」と答えた)。だが、中濱事務局長からは24日とした期限までに回答はなかった。
翌25日の昼、中濱神父は電話で「メールを先ほど初めて見ました」と述べた。改めて回答を求めると、夕方に次のような返信があった。
「送付された質問状について、12の質問があり、教区として、その全てに回答するには、回答期限が2日間ではあまりにも短く、相応の時間的猶予をいただきたい」
丁寧な文面ではあるが、回答期限は記されていない。意図しているのか否か、いずれにしてもこの遅延の間に新たな封殺が起きないと、誰が言えようか。
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