時を戻そう。2019年6月17日、神宮球場でのクライマックスである。全日本大学野球選手権、明大―佛教大の決勝戦。大学日本一を決める空振り三振を奪った明大先発の森下暢仁は、集まったナインにひと際高く持ち上げられて、人差し指を天に突き上げた。新人の現在からは、想像できないような満面の笑み。なぜこのとき森下は、誰よりも高く抱き上げられたのか――。森下の成長とともにナインに芽生えた団結の物語があった。
「森下のこういう姿を見たことなかった」
さらに、時を戻そう。18年秋のリーグ戦後。最上級生として迎える新チームの本格始動を前に、転機が訪れた。主将最有力だった北本一樹が左肩脱臼による手術で、チーム本隊からの離脱を余儀なくされた。いわばリーダー格不在。緊急事態に森下の行動が変わった。善波達也前監督は、当時を鮮明に記憶している。
「練習姿からいままでとは全く違う暢仁になった。元々、チームを引っ張るようなタイプではない。でも、北本が抜けてからいい言葉が出始めた。これなら、暢仁が主将でいいかな……と思った」
北本の手術も無事に終わり、明大選手寮の応接室には、同監督と北本、森下の3人が集まった。リハビリ期間を考えれば、北本の主将就任のハードルは高い。指揮官は、北本に理解を求め、そして森下は「しっかりやっていきます」と覚悟を決めた。こうして、主将に抜てきされた。
主将の森下は、怖かった。指揮官の小言が聞こえれば、「こんなこと監督に言わせるんじゃねえよ!」と怒鳴った。同監督は、「彼からは聞いたことのないような言葉ですよ。なかなかの迫力がありました」と苦笑いする。普段のマイペースな人柄を捨てて、主将の役割を全うしようとした。
そして、ターニングポイントを迎える。4年春のリーグ戦初戦。立大戦に先発するも、6回4失点と奮わず敗戦投手となった。試合後、ナインの前に立ち、初めて頭を下げた。「ふがいない投球をして申し訳ない。明日勝って、あさって(の3回戦で)投げさせてくれ」。同学年でのちに“専属捕手”となる西野真也(現JR東日本)は、「このおかげで日本一になれた」と証言する。
「森下のこういう姿を見たことなかった。そこまで言うのなら“絶対に明日勝とう”となった。ここからみんなが一つになれた」