《一昨日は父の日でしたね。父には感謝の気持ちと共に最近の母とのツーショットや家族ショットを集めたアルバムをプレゼントしましたが 嬉しい。よりもまだまだ悲しい。が大きい様子でした。写真はまだ早かったかな、、。(中略)このままだと母に叱られるだろうなぁ、、 しっかりしてよー! ぼーっとしてないでよー! 人生、楽しんでよー! 泣いてばかりいないでよー! ちゃんと仕事するのよー! 栄養あるもの食べるのよー! 早起きしてお弁当作りがんばってよー! がんばりすぎないでよー! 叱ってるようで しっかり愛してくれている言葉が母の声で今にも聞こえてきそうです》
離れた高台から見守った岡江さんの帰宅
岡江さんと長年の付き合いとなる戸張氏も、未だ最後の別れをできないでいる。
感染防止のため、岡江さんの火葬には家族も関係者も立ち会えなかった。また、4月24日に遺骨となった岡江さんが大和田家に戻ったときも、やはり感染を避けるために遠くから見守るしかなかったという。
「火葬に立ち会えなかった獏ちゃんが出迎え、報道陣の方もたくさんいたので、私は少し離れた高台から、岡江に手を合わせることしかできませんでした。岡江が22歳のときから一緒に仕事をしてきましたが、まさかこんな別れ方が最後になるとは考えもしませんでした。
4月3日に獏ちゃんから岡江の体調が悪いと聞いて、翌日に電話したんです。『具合が悪いんだって?』と聞いたら岡江が『咳がちょっとね。でも今日はだいぶよくなった。戸張さんは大丈夫なの?』と、逆に僕のことを気遣ってくれたのが心に残っています。僕もそんな状況だとは思わなかったので……それが最後に交わした言葉です」(戸張氏)
「お別れ会」も目処が立たず
天国へ旅立った岡江さんの葬儀すらできない状況を、娘の美帆が5月4日のブログでこう語っている。
《死顔を見ること、家族で泣き合うこと、葬儀をすること、弔問に来てくださる方に直接ご挨拶すること。それらすべてが残された者にとって気持ちを整理する大切な儀式なのだと気づかされます。いつか、母がお世話になった皆様とのお別れ会ができますように。それが今の目標です》