携帯電話だけは手放さなかったことが功を奏した
どんどんと自分の身や心が壊れていくのをひしひしと感じるそんな絶望的な状況のなかでも、連絡手段がなくなるのはまずいと直感的に思い、何日も食べない日が続くようなことがあっても、契約していた携帯電話だけはなんとか維持し続けた。
そしてこれが功を奏して、当時、携帯電話だけで登録できた看板持ちのアルバイトをすることができることになり、日給5千円で川崎駅から市役所前の通りでマンション販売の看板をもって立ち続けた。1週間フルにアルバイトを入れると結構な金額になり、それを使って、シャワーを定期的に浴びられるようになり、そこからまた就職活動を再開することにした。
しかし、ここでも現住所がないことが裏目に出てなかなか就職先が決まらない。
「会社名義でアパートを借りてみては?」知人の意外な提案
途方に暮れていると、大学院の時に研究でお世話になった企業の社長に会う機会が突然やってきたのである。この時の私は「あわよくば就職させてもらえないか」というつもりで、横浜の飲食店に向かい、こちらの状況を酒も飲まずに説明すると、その社長は意外なアイデアを提示する。
「会社を立ち上げて、会社の名義でアパートを借りてみては?」
当時、私の専門分野でもあるバイオテクノロジー業界ではバイオベンチャーブームが起こっていて、大学の先生が研究内容を使ってベンチャー企業を立ち上げるのが流行っていた。借りる家もないような状況でそんなことを想像できるはずもなく、面食らっていたところに、社長はどんなものが必要かなど一つ一つ説明したうえで、設立に必要な金額を支援すると言ってくれたのである。
その日はユースホステルの予約が取れず、そのまま人気のない公園でベンチに座り、手書きで創業計画を作り始めた。何度か酔っ払いとガラの悪い男に絡まれつつも、一晩で作り上げたそれを社長のもとに持って行き、添削してもらい、さらにそれをブラッシュアップしてまた見てもらい……ということを何回か繰り返し、その他の支援もいただいて、私はついに自分の会社を設立することができた。
手元にはスキルとノウハウ以外は何もなかったものの、先方の紹介ですぐにいくつかの仕事を得ることができ、そして、なんと実際に会社名義でアパートを借りることができたのである。
こうやって、住む場所(兼職場)を得た後は、大学や自治体からの仕事を中心に仕事を受注することができるようになり、収入が少し安定してきた。そこで、相鉄線沿いの安いアパートを自分で借りることを決め、2007年も終わりになる頃、ついにホームレスを脱出することができたのである。