ホームレスから4年、目標だった大学教員に
その際に作った会社は紆余曲折を経て人の手に渡り、私はまた無職となった。
しかし、前回のホームレスの経験が活かされたのか、それほど落ち込むこともなく、とにかくすぐに就職したいと、月給手取り15万で東北地方のある大学の非常勤職員の職を見つけ、そこで再起を図ることにした。
真冬の東北地方で数カ月間雪に埋もれながら、今度は元々の専門であった遺伝子工学の研究を行う大学教員の就職を目指して、非常勤の仕事と並行して、何通も応募書類を送り、その返事をただひたすら待った。
そして、2010年の春先――ホームレスになってから実に4年もの月日が経ったのち、私は大学院を修了した際の目標の一つであった大学教員として富山県の大学に採用されることになった。
この採用時も、採用側にとても熱心な教授たちがいたことや、当時の雇用先の大学の教授が快く送り出してくれたことなど、多くの人の支援で実現することができたと思っている。もちろん、この大学でもすんなりといかず、実験器具を一からそろえたり、研究費が年間20万円しかなかったりと多くの困難があったものの、無事、任期を満了することができ、とても充実した10年間だったと思っている。
現在はアメリカに渡り、フロリダ州にある非営利の研究機関で、専門である遺伝子工学、特にゲノム編集技術を使った遺伝子改変動物を作製する研究に従事している。ホームレスをしていた頃やその前の契約社員の頃には考えられなかったが、年収は600万円以上を維持し、慣れない英語に苦労しているものの充実した生活を送っている。
モデルケースから転落すると、復帰しにくい日本の制度
このような私の一連の出来事を振り返ってみると、ポイントとなる場面で多くの方の支援をいただけたことがカギになっていると考えている。当時の日本は不況下で他人に気を配る余裕がなかった社会情勢ではあったものの、良い人の巡りに助けられたとも言える。
ホームレスになってしまうと、あるいはそこまではいかなくても一度モデルケースから転落してしまうと、なかなか復帰できないのが日本社会の難しいところでもあると感じている。
こう書くと、アメリカを称賛するいわゆる出羽守のように聞こえるかもしれないが、私はむしろ日本の生活の方が居心地はいいと感じている。
最近、アメリカで入院も体験したが、
その安心・安全で、健康的に住みやすい日本をこれからも維持していくためには、かつての私のような転落してしまった人間をどう再起させるのかということを、色々な角度から考える必要があるのかもしれない。そして、これはおそらくアフターコロナでも重要になってくるだろうし、中国、韓国と同じく、いち早く感染者数が落ち着き始めた日本が手本になることを期待したいと思っている。