どんどん悪くなっていく景気の中「パワーをどう出していいのかわかんない」とくすぶる若者も多かった。どんなに頑張っても、個性がなければ埋まる。ギャルたちはキャラづけとヘンな大人から身を守ることを兼ね、顔を黒く塗り、油性ペンでアイラインをひいた。
そんな光と闇のコントラストがくっきりと分かれた時代を反映し、若いアーティストの楽曲も、恋愛より生き方の美学やムーブメントの起こし方、絶望と希望などを綴る歌詞が増えていく。
「居場所がなかった」「一人きりで生まれて 一人きりで生きて行く」
浜崎あゆみは1998年にデビューし、早々に注目されたが転機は1999年1月1日発売の1stアルバムの表題作『A Song for ××』。「居場所がなかった」とガツンと書いたことだ。これが若者に届いた。
「一人きりで生まれて 一人きりで生きて行く」。親が聞いたらせっかく腹を痛めて生んだのにと泣きそうな歌詞だが、ここまで孤独感をはっきりシンプルに言ってくれるのを誰もが待っていたのも事実。「私も同じ」「私も居場所がない!」と、共感の嵐が吹き荒れ、145万人が泣いた(CD売り上げが145万枚)。
この歌をカラオケで歌ったときの自己陶酔は凄まじい。口に出して言うのはなかなか恥ずかしい弱音と孤独を、日本語でストレートに歌える気持ちの良さ! この「日本語」というポイントは大きくて、コムロブーム以来、ラップが入ったりサビが長々と英語だったり複雑な楽曲が増えたなか、浜崎あゆみの詞は歌いやすかったのだ。
2000年に放送されたドキュメンタリー番組『スーパーテレビ情報最前線』(日本テレビ系)の浜崎あゆみ密着回では、カラオケで彼女の歌を歌うガングロギャルが取材されていたが、彼女たちはキャッキャと明るく笑いながらも「歌詞を読んで泣きそうになった」「(自分たちも)なにげに孤独だよね」と答えていたことをすごく覚えている。そうか、ヤケクソに若さを消費しているように見えるギャルたちも「怖い、この状態が悲しい」と思っているのか、と。
心細さや居場所のなさを、分厚いメイクで隠し笑い飛ばしていた彼女たちも、浜崎あゆみを歌うことで、本音を叫ぶことができたのである。
小室哲哉は「あなたと私」、浜崎あゆみは「君と僕」
1999年以降の浜崎あゆみの詞が、若者の気持ちとシンクロしたのは、「あなたと私」ではなく「君と僕」もしくは「僕たち・僕ら」という表記が増えたこともあるだろう。