関東では、東京に主な拠点がある住吉会や松葉会、極東会、横浜や川崎に拠点が多い稲川会などについて警視庁や神奈川県警の視察担当が常時、出入りしていた。住吉会や稲川会ともなると組織が大きいため直系の2次団体だけでも多くの組織があり、足を運ぶ事務所はかなりな数に上る。
「事務所の組員の名札が裏返しになっていたりすると、『刑務所に沈んでいる(服役している)のかな』、名札自体がなくなっていたら『不祥事を起こして組織から破門されたのかな』と想像できる。そして、それとなく幹部に話を向けて実態を探る。組織について把握した内容を報告書にまとめていた」(同前)
稲川会定例会に毎回出席していた捜査員
神奈川県警には今でも語り継がれる伝説の視察担当者がいた。
暴力団にとって警察は最も脅威であり忌み嫌う存在のはずだが、国内3番目の組織である稲川会を創設した伝説の人物である稲川角二(1914~2007年)に信用のおける「人物」として認められ、当時本部が置かれていた静岡県・熱海で毎月開かれていた稲川会の定例会に同席することを許され、常に稲川の隣の席を用意されていたという。
そのため、直参に取り立てられて定例会に出席するようになったばかりの若手幹部らは、「親分の隣にいつも座っている人はどういう役職の人だろうか」とすっかり稲川会の大幹部だと思い込んでいた、というエピソードが残されている。
当時を知る神奈川県警の元捜査幹部が様子を明かす。
「この担当者がいた時は、稲川会の会合で出た話は全て警察として把握することが出来た。稲川会内の人事や直系の2次団体の近況報告などだ。しかし、警察に聞かれてはまずい話はこの場では出さず、場を変えて会合が持たれていただろうが、公式の会合に出席してリアルタイムに情報を把握できたのは大きかった」
その後も、視察担当と暴力団幹部の間のパイプが保たれていた時期には、何か事件が起きた際には、組長クラスに視察担当が直接電話を入れて、「やったヤツを出頭させろ」と要請することも多々あったという。
数十年前には、そんな出頭要請に応じていた時代もあったが、近年は「実行犯はまず逃げてしまい、追跡は大変な苦労になっている」(前出・ベテラン捜査員)という。