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 捜査当局内部では、暴力団の関与があったり、レートが高く射幸性が極めて高かったりした場合などを除いて、単純な賭博容疑での検挙はしないという捜査の運用上の基準のようなものがあるとされる。

昭和の時代にはどこの記者クラブにも雀卓が

「しかし、1998年の大蔵省(現・財務省)の接待汚職事件では、東京地検特捜部がそれまで合法とされてきた官僚への接待を突然、ルール変更し、違法だとして立件に踏み切ったことで、反発を呼んだこともありました。検察はご都合主義的に摘発のルールを変更してきた歴史があるのです。大阪地検特捜部の証拠改竄事件後の検察改革では、こうした検察の『恣意性』が問題視された一方で、時代の流れに合わせた検察のこうした柔軟な姿勢が、大蔵汚職事件後に国家公務員倫理法が制定されたように、社会に有益な変化をもたらせてきた事実もあるのです。

 昭和の時代にはどこの記者クラブにも雀卓があり、記者たちはマージャンに興じていたと先輩から聞いたことがあります。お金を賭けていたこともあったでしょう。でも、私自身は記者クラブで雀卓を見たことはありません。賭けマージャンに対する社会の視線もどんどん厳しいものになっていることを考えれば、検察組織が自戒を込めて、ナンバー2にまで上り詰めた身内の黒川氏に、厳しい刑事処分を下すという判断があっても、良かったのではないでしょうか」(同前)

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2010年、大阪地検特捜部の押収資料改ざん事件で、大阪地検を出る容疑者を乗せたとみられる車 ©共同通信社
1998年、大蔵省接待汚職事件で家宅捜索のため大蔵省に入る東京地検特捜部の係官ら ©共同通信社

 結局、黒川氏は不起訴処分になってしまった。刑事訴追の可否は検察審査会に委ねられることとなったが、検察が自ら、身内の膿を出す機会は、もう失われてしまったのは、残念なことと言うしかあるまい。