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科学史家・村上陽一郎が考えるコロナ時代の教養「『知らない、何でもあり』の状態は恐ろしい」

科学史家・村上陽一郎さんインタビュー #2

note

――コンセンサスが取れるまで、けっこうな時間がかかりそうですね。

村上 週末に六時間くらい、市民が集まって議論する。専門家へのヒアリングもする。それを何回か繰り返すわけですから、それなりに時間はかかりますよね。ただ、満場一致の意見にならなくていいんです。反対、賛成に一定の意見分布が出ればいい。デンマークでは、議会の票決と同等に、このPTAでの票決の賛成・反対の分布を勘案して政策決定するということもやっていました。

 

――デンマークならではというか。

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村上 ええ、人口の小さな国ならではという面はあるでしょう。ただ、二十年くらい前でしょうかね、日本でも農水省が主催して遺伝子組み換え作物をテーマにした「コンセンサス会議」が行われたんですよ。まさにデンマークのPTAを模したものです。ほかには北海道で遺伝子組み換え作物を畑で栽培するかどうか、という問題に対して同じように会議が設けられました。食の安全という生活に直結する問題で、しかも賛成・反対に分かれやすい課題でもあったため、市民を巻き込んだ議論をしたことに意義はあったと思います。何度か会議を行って、その議論で出た意見や提案は道に提出され、条例制定に貢献しましたし、定期的な見直しの参考にされてもいます。

「科学コミュニケーション」に必要なもの

――科学技術がどう生活に影響を及ぼすのか、それを一般の人たちに説明する科学コミュニケーション、リスクコミュニケーションは国、自治体などだけではなく、メディアが果たす役割も大きくなりそうですね。

村上 どう伝えるかも重要ですし、一般の方々が科学やテクノロジーの先端的なところで何が起こっていて、何が自分に関わってきそうなのか、その点については心を開いておいてほしいですね。あくまで自分ごとの範囲で構わないんです。いや、むしろ自分ごとだからこそ、積極的に関心を持てるはずなんです。そして、人としての「良識」を絶えず自分の中に持っていてほしい。

 

――良識といえば、昨今、社会人のリベラルアーツ熱が高まっているようにも思います。価値観が多様な時代だからこそ、良識のありかとして古典が注目されているのかもしれません。冒頭でおっしゃっていたように、村上先生は企業、官公庁などのリーダー層に対して古典を素材にしたセミナーを開催する「日本アスペン研究所」のお仕事もされていますが、これからの時代、アフターコロナを生きる人たちにとって必要な教養の形とはどんなものだとお考えでしょうか。

村上 先ほどお話しした流れで言えば、科学や技術の問題に対して「知らない」というだけの姿勢で臨んでほしくないんです。その態度では、社会の動きに浮いて流されるだけですし、「何でもあり」で生きていくことになるからです。