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科学史家・村上陽一郎が考えるコロナ時代の教養「『知らない、何でもあり』の状態は恐ろしい」

科学史家・村上陽一郎さんインタビュー #2

note

「何でもあり」にしないために「教養」が必要

――『あらためて教養とは』には〈「理性と教養が邪魔をして」というフレーズは、実は正しいのですよ。まさに欲望の限りない追求の「邪魔」をしてくれるのが教養だと考えられるからです〉とありますね。

村上 ええ、「何でもあり」の状態は恐ろしい。アフターコロナの時代においては、社会的にも技術的にも大きな変革が訪れるでしょう。私もこのインタビューで初めてZoomというものを使っていますが、リモートコミュニケーション技術ひとつとっても、それが人の働き方を大きく変えようとしている。または先ほどから話題にしている接触通知アプリのように、体内情報を第三者に利用させるか否か。そこには、大小様々な選択、判断が生じます。便利になることを単純に否定したいわけではありません。ただ、生活様式が変化していく中で、どれを受け入れて、どれを諦めるか。そうした自分の中の基準、「何でもあり」にしないための枠組みをきちんと持つための助けが「教養」なんだと思うんです。

 

「歴史の文化人類学化を実践すること」

――『ペスト大流行』を始め、科学史の観点から人間の歴史におけるさまざまな枠組み、思考のあり方を研究し、提示し続けてこられました。最後に、歴史を叙述される際に一番気をつけていること、それは何ですか?

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村上 うーん、最後に難しい質問ですね。私の信条としているところを申し上げれば、「歴史の文化人類学化を実践すること」。これは西洋史の木村尚三郎さんの言葉なんですけれどもね。私は使用料も支払わずに使わせていただいているんです(笑)。

 文化人類学とは「今」という時間を共有しながら、地球上のあちこちに並列している様々な文化を理解する学問です。理解するために、異文化の中に入っていく。そのときに、異文化を自分の文化価値によって判断したり、評価しては異文化理解になりません。自分を構築している文化をゼロにする努力のもとで、対象とする異文化に臨むことが大前提です。

『ペスト大流行』

 歴史研究もそれと同じ態度でなければならないと考えているんです。つまり『ペスト大流行』で言えば、中世を後付けの近代的価値観や文化的背景で評価したり判断しては、実際の歴史が見えなくなってしまう。現在言われている、一般的な理解の仕方、中世というのは腐敗したキリスト教権力が世俗圏と散々ぶつかり合っていた暗黒時代ということしか見えなくなってしまう。

――現代人としてタイムスリップするのではなく、中世人になりきろうとしてタイムスリップする態度が必要なんですね。

村上 まさにそういうことです。現在の我々の枠組みで過去を判断することだけは慎もう。それが私の歴史学の、歴史記述の信条なんです。

写真=末永裕樹/文藝春秋

むらかみ・よういちろう/科学史家、科学哲学者。1936年東京生まれ。東京大学教養学部卒、同大学院人文科学研究科博士課程修了。東京大学教養学部教授、国際基督教大学教養学部教授などを歴任。著書に『ペスト大流行』、『コロナ後の世界を生きる』(ともに岩波新書)、『死ねない時代の哲学』(文春新書)など。

死ねない時代の哲学 (文春新書)

陽一郎, 村上

文藝春秋

2020年2月20日 発売

科学史家・村上陽一郎が考えるコロナ時代の教養「『知らない、何でもあり』の状態は恐ろしい」

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