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次々と、ふたりの女が手をつないで走り出す

「そのとき」にわたしが観ていたのは『ハッピーニート おちこぼれ兄弟の小さな奇跡』という映画でした。30歳にもなって実家暮らしで引きこもり生活を送る主人公がM・ナイト・シャマラン監督の『サイン』を観て、外出することを決心するというヘンなあらすじの映画でした。

 主人公の母親は友人キャロル(レイ・ドーン・チョン)の「ありのままの自分を受け入れてもらいたくない?」の言葉と、スプリンクラーの放水をきっかけに、キャロルとともに職場を車で飛び出します。ふたりは手をつないでいます。このシナリオは主人公の話と絡んでいるようで絡まないまま唐突に進行します。

 同じ日に次に観たのがアラン・モイル監督の『タイムズ・スクエア』という映画でした。思春期の少女である主人公が精神科病院で出会ったパンク少女とともに救急車を奪って脱走する。ラモーンズ、トーキング・ヘッズ、XTC、ザ・キュアーをBGMにしながらふたりはつい先程見た画面と同じように手をつないで走り出す。

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 これはなにかの啓示だと思いました。

写真はイメージ ©︎iStock.com

 わたしが『タイムズ・スクエア』を観たのはアラン・モイル監督の別作品に惹かれたからだし、『ハッピーニート』を観たのもいまや『ストーリー・オブ・マイライフ わたしの若草物語』の監督として有名なグレタ・ガーウィグがかつて一緒に映画を撮っていたデュプラス兄弟はどのような作品を撮っているのか知りたいという理由からでした。いずれもジャンルやテーマから選んだものではありませんでした。この二つの映画をつなぐものはなにひとつないように思えました。スタッフも製作当時想定されていたであろう観客もちがう。言ってしまえば2011年と1980年の作品が並んだだけ。でも、二つの映画は手をつないで走り出しました。さらにその日は3本目に前からずっと観たかった黒沢清監督の初期作品『神田川淫乱戦争』を観てしまいました。するとまたふたりの女が手をつないで走り出しました……。

写真はイメージ ©︎iStock.com

そうしたものが目につく身体になったからなのか

 ケリー・ライヒャルトの『ライフ・ゴーズ・オン 彼女たちの選択』、ダレン・ソーントン『マッド・メアリー』、クローディア・ウェイル『ガールフレンド』、ポール・ニューマン『レーチェル レーチェル』、ジョセフ・ロージー『秘密の儀式』、クリスティアン・ペッツォルト『幻影』。

 いわゆる名作と言われている監督が撮った作品やその関連作を観ていくとどうも「女ふたり」の作品が溢れていました。というよりもこの時期に自分が観た映画になぜかそうしたものが溢れていました。なぜだろう。そうしたものが目につく身体になったからなのでしょうか。上記で列挙した映画はたとえば直接手をつないで走り出すシーンはなくとも、ふたりの様々な「運動」に満ちていました。