仕事部屋の正面は置屋
飛田新地に仕事部屋を持つことにしたのは、仕事上、関西方面の取材が多くなっていたからだった。歌舞伎町のヤクザマンションと同時に、もう一つ部屋を借りるのは経済的にきつかったが、交通費やホテル代を考えると、十分元はとれた。家賃は水道料金込みで4万円、角部屋で眺めがいい。マンションの正面には置屋――というか、堂々と売春をしている飲食店があるので、バルコニーから客とやり手の交渉を見物できる。
狭苦しいエレベーターに乗って7階で降りた。ドアには表側からもロックが掛けられるよう改造されている。家賃を1日でも滞納すると、大家がここに頑丈な鍵を掛ける。それが1週間続くと、荷物はすべて捨てられ、自動的に契約も破棄だ。賃貸契約としては違法だろうが容赦はない。この街で法律は通用しない。
家賃の滞納はしていないので、問題なく部屋に入れた。机とベッドマット、簡単な煮炊きが出来るだけの家電しかなくても、ホテルと違って自分の部屋だから落ち着く。
窓を開けて空気を入れ換えた。改めて俯瞰すると、いにしえの遊郭のような雰囲気で、とても日本とは思えなかった。
西成の簡易宿泊所で生まれた交流
「お兄ちゃん、帰ってきたんか。今度はいつまでおるん?」
隣のバルコニーから声がかかった。住んでいたのは西さんという50代の男性だった。とても気さくなおっちゃんで、西成の西さんは夏場、必ず窓を全開にしている。本名なのかわからない。西成では他人の過去を訊くのはタブーだ。商店街で感じる殺伐とした西成の空気は、他人のプライバシーには一切関わらないという黙約があるためだろう。西成は暴力団のみならず、左翼の足場にもなっている。英国人女性を殺害して逃亡していた市橋達也が、西成で潜伏していた理由もそこにある。
「半月くらいですかねぇ~」
「景気はどうや?」
「ぼちぼち、ってとこですか」
「ええ仕事あったら紹介してぇな」
「そんな仕事があったら、自分でやりますよ」
不出来な漫才のように定型的な会話を交わしていても、互いがなんの仕事をしているのか知らないし、訊くつもりもない。考えてみればおかしな話だ。
「スイカあるで。食わんか?」
「俺、ビール買ってきたから取り替えっこしましょう」
バルコニーから手を伸ばして物々交換した。正体を知らない者同士が、上っ面だけでするコミュニケーションは、しかし、不快ではなかった。