新宿歌舞伎町の通称“ヤクザマンション”に事務所を構え、長年ヤクザと向き合ってきたからこそ書ける「暴力団の実像」とは――暴力団のシノギの一つである「博奕」について、著作『潜入ルポ ヤクザの修羅場』(文春新書)から一部を抜粋する。

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老博徒の昔話

 本来、ヤクザの美学は博徒のそれとイコールだった。盆中での経験を通じて、若い衆は修行を積んでいった。自分たちが主催する盆中はもちろん、親分に付いて余所の賭場に行くこともある。博徒一家は持ちつ持たれつで、自分の賭場に来てくれた人間が博奕を開くときには、返礼として遊びに出かけなければならない。こういった機会は若い衆にとってなによりの経験になった。自分の賭場では見えないことが見えるし、なにより客の立場になってものを考えられるからだ。

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実際の盆中を使って行われた手本引きの模擬戦の様子。一般的な博徒の賭場では客同士を競わせ、勝った側から一定の額を寺銭として徴収するが、本引きは博徒と客(写真右)が勝負し、金を奪い合う ©鈴木智彦

 大抵は親分の後でじっと正座をしていることになるが、教育の場であるため、子分に張らせることもある。もし「お前も張れ」と言われたら、1回ずつ親分に見切り(これはないと思う札)を聞いて張るのが若い衆のマナーとされた。自分の親分が見切った札を張ったり、故意に反対を張ることは絶対にできない。たとえ親分が許しても、衆人環視の中で親分が絶対という博徒社会の掟に刃向かうことは、親分の名誉と代紋を汚すこととなる。そんなとき、博徒の若い衆は、親分から「やかましい」と怒鳴られるほど見切りを訊ねなければならない。

博徒の哲学は実地で学ぶ

 親分が大きく負けると、主催者が帰り際、「若い衆にやっといてくんなはれ」と子分たちに小遣いをくれたりする。たとえば5000万円負けたら、どこの賭場でも100万円くらいは渡してくれるのだ。しかし、これはたくさん金を落としてくれた上客に対するサービスで、負けの一部を返金してくれているのである。そう明言すると失礼なので、こういった言い回しになる。若い衆はこうやって博徒の哲学を学んでいったのだ。そこには古き良きヤクザの姿が確かにある。

©iStock.com

 その後、盆中を見学させてくれた親分と一緒に大阪の木津市場にある寿司屋に出かけた。東京でいうなら築地に出かけたようなもので、他にも数人、ヤクザの幹部がいた。その後、銭湯に出かけ、みんなで朝風呂に入った。銭湯は公衆浴場であり、刺青を理由に入浴を断れない。

 寿司をつまみ、湯船に浸かりながら昔話を聞いた。