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 心理戦だから掛け合いもある。胴の騙し……たとえば最初わざとモクの三を見るわけや。で、当てられる。そうして次は六見るわけや。店は傷見た思うて、また六に張ってくる。そうして頃合いを見ながら、次勝負やな思うとき、六見て三出しよんねん。フェイントやな。でも、そんなやり方するヤツは長続きせんねんて。やっぱりきちんと勉強して反省せないかん。手本引きの上手な人っていうのは、不思議なことに肥えてる人って、まぁ、おれへんわ。細い神経質っぽい人ばかりや。でな、モクをなにからなに引いて、どうなったか流れを全部覚えてる。博奕が終わってもあのときこれを引いたのは失敗やったとずっと反省しとる。一緒にタクシー乗るやろ。タクシー代払ってくれへん。悪気があるわけじゃなく、それだけ集中して、ずっと博奕のこと考えてんねや。凄いで。

騙し合いが跋扈する世界

 客の騙しもある。たとえば手の中に二を握ってるのをうっかりした様子でぽろんと出しよる。それを見た胴は「あいつ二は見切っとんな」思うて、二を引きにいったらしいわ。もちろん、二で受かる。

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 親子で役者するのもおったよ。息子が胴を引いとって、ネ(前回と同じ目)ばかり出すんやと。ばっちばっち客に当てられて当てられて、ほんでみんなが山盛り張ってきよってん。それを横で見ていた父親が息子を「アホンダラ!」言うてバチッとどつき、「代われ!」いうて胴しよった。さすがにみんなネは見切るやん。そこでネを出す。親子で吉本新喜劇しとるわけや。

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 こういうのは騙しいうても心理戦や。ひっかかった方が悪い。せやから博奕は一回一回が名勝負やねん。有名な親分がやっとったからとか、銭の嵩なんて関係ないわ。大きい勝負でも、小さい勝負でも全部名勝負やとワシは思う。

ゲームとしての手本引きは1から6まである札をくくり、胴師が選んだ1枚を当てる単純なものだが、どの札を出すかは心理戦であり、札や金の置き方によって配当が複雑に変化する ©鈴木智彦

真剣勝負の世界に生きる博徒だからこその美学

 いまでこそ博奕で負けた銭を一銭も払わんとか、追い込みやなんていうけど、昔はすっと持ってきたもんやった。なにも博奕打ちだけ違うて、「博奕の負けはなにをおいても返せ」いうのが堅気の人にも浸透してた。せやろ、それが前提で博奕せんと茶番やないか。真剣勝負にならん。せやから真剣勝負に生きる博徒には美学もあるわけで、そこがいい加減ならみんなウソになる。