高校卒業後、郵便局勤務を経て22歳のときに遺品整理・特殊清掃の仕事を始めた小島美羽(みゆ)さん。父親の突然死がきっかけでこの世界に飛び込んだ。小島さんが現場に行くとき、すでに故人の姿はない。遺族や大家さんから聞いた話と、「部屋」と「物」だけが残されている。それらは故人の人生を雄弁に物語っているように思える――小島さんの原点と、99%の人が辞めてしまうという「特殊清掃」という仕事のくわしい内容について、文化人類学を専門とする研究者・北川真紀さんが聞いた。(全2回の2回目/#1から続く)

小島美羽さん。すべての作業が完了すると、玄関先に線香を灯して仏花を飾る。部屋の中に何か残すわけにいかないので、たった5分のあいだ供えたあと、それらを撤去するという。 ©Hajime Kato

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父親が54歳で突然死 後悔の感情でいっぱいに

――小島さんはこの仕事を始めて、何年になりますか?

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小島 2014年から丸6年やってきたので、この8月で7年目になります。

――著書『時が止まった部屋 遺品整理人がミニチュアで伝える孤独死のはなし』(原書房、2019年)に、〈特殊清掃の仕事は、遺体の腐敗による臭いや汚れ、場合によっては感染症のリスクもともなうため、肉体的にも精神的にも負担が大きい。実際に、ほとんどの同僚はすぐに辞めていく。それも百人中、九十九人くらいの割合で。〉と書かれています。小島さんが仕事を続けられるための強い意志はどこにあるのでしょうか。

小島 「自分の周りにいる大切な人を大事にしよう。後悔なく生きよう」と考えてもらいたいと思うのは、わたしが一番後悔しているからです。

 父は54歳で突然死しました。亡くなる2カ月前、離婚を前提に両親が別居したばかりのことです。脳卒中で倒れ、孤独死する一歩手前でした。わたしたち姉妹が小さい頃からお酒が大好きで、家庭内ではよく問題を起こしていましたし、母の稼ぎだけが頼りの家計はいつも火の車でした。ただ、お酒を飲まなければいいお父さんでしたし、幼稚園くらいの頃には運送会社で働いていた父のトラックにもよく乗せてもらいました。家族で川に遊びに行ったりもした記憶があります。

 父との最後の思い出は殴り合いの喧嘩で、それも母を守るためでした。そんな父でも亡くなって最初に、後悔の感情でいっぱいになりました。生前にもっと話していれば、避けていなければ。大切なものは失わないと気付けない。生きている間に気付けなかったことに、ますます後悔したんです。尊敬や愛情の気持ちも、失ってからでは遅いんですよね。

日本人形、写真アルバム、何セットもある客用布団

――小島さんがこれまでに制作した9つのミニチュアのなかで、「遺品の多い部屋」は、その原風景ともいえる作品なのかなと思います。天袋にしまわれた日本人形や写真アルバム、子どもや孫が遊びに来たときに使うためなのか何セットもある客用布団からは、子ども世代から親世代へのまなざしを感じました。

「遺品の多い部屋」のミニチュア。何セットもの客用布団が残されている。 ©Hajime Kato

小島 あのミニチュアは、「お子さんが依頼者で、実家が都営団地」というシチュエーションを想像して作った部屋です。親が亡くなった時、実家を片づけると小さい頃に貼ったシールや、ひな人形、もう使わないお布団が残されていることに気付くと思います。そんな家族の思い出がつまった部屋を作りました。遺品は、廃棄したりリサイクルしたりする物がほとんどですが、依頼者の方が「思い出だから、残しておく」と判断する物も多いんです。遺族の方は「物が多くてすみません」「汚くて申し訳ない」とおっしゃるんですが、「量も汚れも皆さん一緒です。安心してください」と言いたくてこのミニチュアを作りました。