5年ほど前に新卒で希望の会社へ入社した。しかし、職場である六本木ヒルズでは「手に入らないもの」があり、3年で辞めて選んだ道は東京大学大学院。30代を目前に、筆者は文化人類学者を目指して、間もなく、住民の半数以上が水道局と契約を結ぶことなく、各家庭の井戸から地下水を引き上げる福井県大野市の空き家で暮らし始めるという。彼女はなぜ、大野市に住もうと思ったのか?

筆者がフィールドワークの拠点に選んだ福井県大野の田園風景。

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 生まれてはじめて翡翠(ひすい)色をした水を見た。

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岐阜県との県境・大野市下打波地区を流れる清流

 街中でも地下からこんこんと湧き出る名水を誇る町、福井県大野市。周辺を山々に囲まれた盆地である大野市は日本屈指の豪雪地帯でもあり、雪解け水が田畑から地中へとしみ込み、地下の奥深くまで、さまざまな質の地層をくぐりぬけ、長い時間をかけてろ過される。

大野市では住民の約70%が水道局と契約を結んでいない

 この水は、大野市の人々にとって日々を支える貴重な水資源である。日本全国ほとんどの土地で水道の配管がくまなく行き交う現在、大野市では住民の約70%が水道局と契約を結ぶことなく、各家庭にある井戸から水を引き上げて使用している。私が初めて大野市を訪れたのは、雑誌「ソトコト」のプロジェクトに参加した時だ。東京都で生活する私には「水にはお金がかかる」という思い込みがあったため、街の清水(しょうず、地下水が湧き出る場所)の水をいくらでも水筒に入れて飲めることに、初めは小さな戸惑いを覚えた。ひょっとしたら市販のミネラルウォーターよりミネラルが豊富かもしれないこの天然水――。大野では惜しみなくお風呂にも使われている。

 見習い文化人類学者としての私の調査地は、ここ、福井県と岐阜県の県境に位置する日本屈指の豪雪地帯・大野である。

私たちが思い描くような「秘境」はとっくの昔に消滅している

 一般的に、「文化人類学」という学問にはどんな印象を持つものだろうか。 私が人類学者を志したのはドキュメンタリー映画『リヴァイアサン』との出会いがきっかけだった。この映画は、北米の底引き網漁船に漁師たちとともに乗り込んで長い海の旅に出た2人の人類学者が、アクションスポーツの撮影などを目的に開発された小型カメラGoProを10個以上使って撮影されている。「とんでもないものを観た」と直感的に思った私は、次の日には大学院の文化人類学研究室に入るための資料を取り寄せていた。 

 私はそれまで、人類学とは、アフリカや南米アマゾンなど異文化の地域に赴き、先住民族らとともに暮らして、その報告書を執筆するのが仕事だという理解があった。しかし、ミャンマーとタイの国境の少数民族の村では、電気やガスのインフラはなくとも車のバッテリーで充電したiPhoneでFacebookの友達申請ができ、先住民保護区があるアマゾンでも文化のかたちは外の世界と融合しながら形を変えている現在、もはや私たちが思い描くような民族像などどこにも存在しない。「秘境」は、とっくの昔に消滅しているのである。

 しかし、人類学に扱うべき対象がないのかと言えばそんなこともなく、むしろ研究の対象は「ほとんどなんでもあり」だ。インターネットのヴァーチャル世界を調査することもあれば、新宿二丁目のゲイバーに取材に出かけることもある。そこに人間の営みがあれば、ペンとノートを持って赴くには十分なのである。人類学者たちは、1年から3年ほどの期間、調査先(「フィールド」と呼ぶ)に住み込み、そこで暮らす人々と同じものを食べ、同じような服を着て、同じ風土のなかに溶け込む。そして、人々と同じ感覚を抱くようになるまでは帰らないのである。

大野の町の中心地に位置する「御清水(おしょうず)」

 もはや調査地は無数にあるという状況になった時、意外にも私の心に浮かんだのは日本という国だった。もしかしたら現代の「秘境」は日本にあるのかもしれない。自分たちが住む土地をまるではじめて目にした場所のように冒険しようとするとき、見えてくる風景はどんなものだろうか。