私は2年前まで六本木ヒルズで働いていた
じつは、私は2年前まで六本木ヒルズに社屋を構える企業で働いていた。深夜まで残業をすることもあったが、タクシーで帰宅する際にも、ビルはもちろん街には煌煌と明かりが点いており、働く環境はいつだって整えられていた。私たちは何不自由なく、時間や季節に左右されることなく仕事ができた。東京に住み始めて10年。そうした条件は私にとってもすっかり当たり前のものであった。しかし、振り返ってみれば、そこで手に入らないものがあったことも事実である。
毎朝出勤のために大江戸線の駅のホームから長い長いエスカレーターで地上へと輸送されていく。雪降る日の夜にはまるでSFで描かれるディストピアのような風景を演出する蜘蛛のオブジェを横切り、昆虫のようなフォルムの高層ビルを前にして入り口の自動ドアに吸い込まれていく瞬間には、いつも少し緊張していた。
はじめてこの場所を訪れた時には、ブルーのエントランスカードをピッと当ててゲートを入り、偶数・奇数階に割り振られた道からエレベーターホールへと急ぐ人たちを見て、「なんだこれは」と驚いた。あまりにも効率的にデザインしすぎたためなのか、どこか工場のラインのようなのである。
ステーキバイキングや隣のホテル・グランドハイアットでのランチなどはとにかく場の雰囲気に負けてしまう。かつ、午後の会議に合わせて結局は急いでかきこまねばならず、ゆっくりと味わうことはできないという状況だった。ブランドものの高級品を身にまとって出勤するわけでもなく、結果的に、ビル内に入っている店で用事があるのはナチュラルローソンくらい。あとは手が届かないというか、もはや私には関係がなさすぎて売り物に見えないのであった。
外部と完全に隔離された職場環境では、手に入らないもの
さらに、そのエリアも含めてビルの構造はじつに「わかりにくい」。戦国時代の城のように、敵に侵略されることを見越して設計されたとしか思えないほど迷いやすい。これは新しい形の防犯なのだろうか。たしかに生命の安全はなにがあっても侵されたくないが、何枚ものセキュリティーカードを使ってゲートを通り外部と完全に隔離された職場環境では、手に入らないものがある。
それが、環境が移り変わり、世の中も流れているという「肌感覚」である。たとえば、一日中ビルの中にいてそれで完結する日が多いデスクワークでは、季節の移り変わりがあまりにも実感しにくい。もちろん通りすがりのレストランのメニューが夏野菜を使っているな、とか寒くなってきて鍋が売りなのか、とかは理解する。ただ、そうだとしても冷房がかかっていて涼しいビルの中では温かいスープを飲みたくなることもあり、季節はあってないようなものだった。
決まった時間に出社して夜遅くまで働いているので、日が長くなるとかいう感覚も特にない。暑さ、寒さはのっぺりした記号みたいなものである。あとは、時代の空気や街の気配もわかりづらく、結局はメディアを通した情報を見聞きして最新の情報を得た気になっていた。いつだって業界の最先端のものづくりをしたいと言い張っていたものの、それで先を読むことや、人々の欲望の矛先を知ることはできていたのだろうか。
私が大野に惹かれたのは、住民の人々が、どこか「野ざらし」の暮らしを送っているように見えたからかもしれない。