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「『ストレスがないこと』だけをルールに、小豆島でヤギと暮らす毎日です」――内澤旬子、乳がんを語る #2

内澤旬子さんインタビュー

2018/04/10
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 文筆家、イラストレーターの内澤旬子さんは、38歳で乳がんに罹患し、2度の部分切除を経て乳腺全摘出、そして乳房再建と何度も手術を重ねながらも「がんと闘っている」と感じたことはほとんどないといいます。内澤さんが目指した「身体のいいなりになって、心地いいことを探しながら生きていく」場所は、東京から遠く離れた小豆島にありました(前後編インタビュー。#1が公開中です)。

内澤旬子さん

鏡を見る度に落ち込んでいたら、NK細胞が減っちゃう

──乳腺を全摘されると決めた時に、乳房再建は考えていたのですか。

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内澤 最初はどうでもいい、切りっぱなしでいいと思っていたんです。でも、これからの余生が長そうだと思うと、ゆらゆらもやもやと欲がたち昇りました。

 もともと貧乳なので、残さなくてはいけないという気持ちはあまりなかったのですが、本来保険適用外のシリコンを入れる乳房再建が保険価格でできるということで、乳房再建をすすめてもらい、受けることにしました。

──胸に傷があるという状態は、女性ならだれでも苦しく、受け入れ難いものだと思います。

内澤 正直、胸の形が削れたことへの感傷に浸る暇はあまりなかったんです。でも、傷の落ち着いた胸は、平らというよりはえぐれていて、見ていてあまり気持ちのいいものではありませんでした。だから、乳がん患者がきれいな乳房を手に入れたいと思うのは、当然だと思うんですよね。だって、鏡を見る度に胸を見て落ち込んでいたら、がん細胞を攻撃するナチュラルキラー(NK)細胞も減っちゃうじゃないですか。

 乳房がなくても、家事・仕事・日常生活全般にとてつもない不自由があるわけではありませんが、だからといってあのままの状態で「生きているだけで幸せ」だともまるで思えなくて。

 

──乳房再建は男性医師が担当して、当時嫌な思いもたくさんされたそうですね。

内澤 今は乳房の同時再建も保険適用も当たり前になりましたが、当時は「身体に異物を入れてまで」「お金をかけてまで」という否定的な意見も多かったんです。

 知り合いのふとした言葉で、喪失感に心をえぐられることも何度もありました。最初に面談した同じ病院内の形成外科医は、本来は事故などで取れてしまった指などを動くようにつなげるとか、そういう手術が専門でした。「乳房再建」を一段低く見ているのが感じられてとても嫌で、乳房再建経験の多い他の病院の形成外科医を紹介してもらいました。けれども、その医師ともうまくいかなくて。