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京都“安楽死”事件「2年前、私がそのALS女性から受け取ったSOSのメッセージ」

2人の医師は、別の選択肢について女性とともに考えたか

2020/07/24

genre : ニュース, 社会

 医師が患者から、安楽死を要求されたとして、それを実行すれば刑法199条の「殺人罪」が適用される。安楽死の協力者や仲介者も法に問われる。人を教唆、幇助して自殺させたり、嘱託を受けて殺したりした者を罰する刑法202条があるからだ。

 だから、日本人が安楽死を実現するには、それが認められている海外に行くしかない。

 京都の女性が当初、目指した「ディグニタス」のあるスイスでは、今回の事件のように、医師が直接、患者に致死薬を投与して死に至らせる「積極的安楽死」は違法だが、医師の介助によって患者自らが致死薬入りの点滴を体内に流し込む行為(医師による「自殺幇助」。本稿ではこれも広義の安楽死に含める)は認められている。現場を何度も目にしてきたが、患者は点滴開始後、20秒ほどで苦しまずに死ぬことができる。スイスでは、外国人がこうした自殺幇助団体を利用することが黙認されている。

 だが現実問題、日本人がスイスに行くのは難しい。まず日本では、安楽死を目的に、患者が病院を離れることを医師は許可しないだろう。病院の制止をうまく切り抜けられたとしても、特に難病患者の場合、付添い人がいなければ、出国することが難しい。しかし、それを外部の人間が手助けするだけでも自殺幇助罪に当たる可能性がある。彼女はこの点を気にかけ、私に助言を求めてきたのだろう。

それは医療行為か、哲学的行為か

 本人の明確な意思があり、安楽死を認めている国で実施するのであれば、その死に方自体に、私は反対したくない。人工呼吸器を付けて生活することを彼女は憂いていたという報道が伝わってきたが、それ自体にも、とやかく言うつもりはない。その判断は、彼女の人生観の延長であり、それは彼女の生き方の反映でもある。死にたいという気持ちも、彼女にしかわからない切実な理由があったのだと想像する。

 だが、外部の人間がその死を手助けするのならば、最低限、彼女の人生を踏まえた上での行動でなければならない。安楽死が容認されるオランダでも、安楽死を施せるのは、患者の人生に少なからず接している「かかりつけ医」に限定される(例外もある)。今回でいえば、S N S上で知り合った医師で、しかも複数人が、女性に死を施したのは、やはり理解に苦しむ。

京都在住の女性への嘱託殺人疑いで逮捕され、JR京都駅に着いた大久保愉一容疑者 ©共同通信社

 もちろん、私は事件の全容を知らないので、たしかなことは言えない。報道では、担当医は彼女の要求を退けたという。その医師が今、どこにいて何を思うのか、とても気になる。一方で見ず知らずの医師2人が、なぜこのような安楽死を遂行してしまったのか。それは金銭が絡んでいたからなのか、それとも逮捕も覚悟した上で、自らの「死の哲学」を実践したかったのか……。

 安楽死を取材するたびに、深く悩むことになる。死を望む患者は、医師に安楽死効果を持つ劇薬を求める。だが、医師が家族ではない他人の人生の幕引きを決めることは、医療行為の範疇なのか。私には、哲学的行為に思えてならない。医師からしても、患者の人生の最終決定者となることは、相当の覚悟を持たないといけないだろう。

「死ななくて良かった」 ALS患者から届いた手紙

 たとえ難病を患っていても、人間の気持ちは、時間とともに移ろうものだ。以前、スイスで安楽死を取材していた時、ある米国人女性が私に連絡をしてきたことがあった。彼女もALSを患い、安楽死を受ける直前だった。親に黙ってスイスに渡り、友人と山にこもって死の順番を待ち構えていたのだ。ここでも、私は無言を貫いた。