人の「生き死に」の領域まで医療が及び始めた現代。終末期医療では、安楽死を求める声が年々増加し、出生時でも先天的な病や障害を理由とした胎児の中絶が行われるようになっている。
『安楽死を遂げた日本人』を上梓した欧州在住ジャーナリスト・宮下洋一氏と、『選べなかった命 出生前診断の誤診で生まれた子』で大宅賞・新潮ドキュメント賞をW受賞したノンフィクション作家・河合香織氏が「命の選別」をテーマに語り合った。
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家族に迷惑をかけないための「安楽死」?
宮下 安楽死について書くのは今作で2冊目です。前作『安楽死を遂げるまで』では、スイスとオランダとベルギー、アメリカといった安楽死容認国の現場を取材して、安楽死は、文字通りの安らかで楽な死なのかを考えました。取材現場で戸惑うことも多かったものの、安楽死を認めるかどうかは、その国の文化や歴史に深く根差していることがよく分かりました。つまり、国民の理解の上で成立している選択肢ということです。
取材の最後に、日本を訪れ、安楽死の是非を取材しました。日本でも、安楽死を求める切実な声があることを知りましたが、それでも、この国で安楽死を法制化することは危険だと思いました。欧米では、個人の人生における最後の選択肢として、どう逝きたいかの選択肢が尊重されています。一方の日本では、個人の選択肢というよりも、家族や医師を含めた周囲の考えが、死の局面まで影響を及ぼしているのではないか、と。
河合 そのあたり、ご著書では、日本の「迷惑文化」と呼んでいましたよね。つまり、高齢者や難病患者が、家族に迷惑をかけないために、安楽死を請うケースもでてくるのではないか、と指摘されていました。
宮下 はい。医師や安楽死団体が、患者に安楽死を施すか否かを判断するにあたって、各国共通の条件が四つあります。(1)耐え難い苦痛がある(2)回復の見込みがない(3)代替治療がない(4)本人の明確な意思がある――。このうち、最後の「本人の明確な意思」を、良くも悪くも“空気を読む”日本人の場合、確認することができるのか、私にはわかりませんでした。
その「空気」は、河合さんの『選べなかった命 出生前診断の誤診で生まれた子』にも、感じ取れたので、とても面白いと思いました。生と死、対極的なテーマだけど、共通項がいくつもあるんですよね。