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河合 医療者からしたら、当然迷うはずですよね。少し次元が違ってしまいますが、宮下さんは、スイスやオランダでは、安楽死を施す医療者のストレスが大きくてトラウマを引きずっているケースもあると述べられていますよね。

宮下 はい。オランダの例で言うと、実際に安楽死法が成立したのは2001年なんですけど、それから法の解釈によって、当初は想定しなかった患者が安楽死を遂げるようになってきています。最近では、認知症患者への安楽死措置を巡って、オランダで訴訟が起こりました。

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 法制化された当時は安楽死に賛成だった医者も、実際にやってみて、これは自分にはできないという判断になった人もいます。本来は、人を救うために医療を志すわけですから、やはりそのギャップは大きいのだろうと思います。

 ところで、河合さんの本にも、似たような悩みを持つ医療者が紹介されていましたね。中絶手術に関わってきた助産師の方が中絶手術に疲弊し、仕事を辞めようと思いつめたというエピソードが印象的です。

「命を選ぶことができる」は幸せか

河合 はい。欧米では医療者に「特定の医療を良心に基づいて拒否する権利」が認められているところもあります。例えば良心や宗教上の理由で中絶手術をしたくないと医師が主張することで、病院内でその医師は中絶手術には関与しなくてもいい配慮が取られる場合もあると聞いてます。けれども、日本ではそのようなことはまだ難しい段階です。

 羊水検査で胎児の異常がわかって中絶という流れに至った場合、中期中絶となり、人工的に陣痛を起こして出産と同じような形で胎児を「産む」ことになります。命を救うことに高いモチベーションを抱いている医療者にとってはストレスが大きいと感じる場合も少なくないようです。

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宮下 出生前診断がどんどん普及していくなか、現場の医療関係者が実は苦しんでいるのだとしたら、そのことも議論しなければなりませんね。

 話は変わりますが、医療がどんどん発達していく世の中で、「選ぶことができる」というのが人間に何をもたらしたかについて、安楽死の取材をしていて何度も考えました。昔は、誰もが自然死だったわけじゃないですか。安楽死なんて考える余地がなかったほうが幸せだったかもしれない、と。