河合 そうですね。命を選ばなければいけない場面に直面することが多い時代になっています。出生前診断は、新型出生前診断や羊水検査だけの話ではなく、誰もが受ける妊婦健診でさえ、胎児に異常がないか調べられているわけです。
病気を知ってしまったら、やはり何らかの選択をせざるをえない。知ることと選ぶことは対なんだと思います。
大江健三郎さんはノーベル文学賞を受賞当時、四国の森の中で生まれ、子どもが障害を持って生まれたことを含め、偶然の中に自分の人生の根拠があると仰っていました。人生をコントロールしようとすればするほど、偶然の楽しみをなくしているのではないかと考えます。
宮下 選べるということは、偶然の出会いというのを少し減らしちゃっているんじゃないか、という話ですよね。
河合 はい。もう一つ、取材をしていて感じるのは、選ぶことができない人というのも世の中にいるんですよね。障害を持つ子が生まれる可能性を指摘されたお母さんで、確定診断を受けないまま、障害があるという疑いだけで中絶してしまう人がいます。選ぶ責任を取りたくないから、事実を知ることを避けるわけです。だから、出生前診断のような技術が発展しても、誰もが強く「自己決定」をして、選べるわけではないと思います。そういった方へのまなざしとか、ケアみたいなものも必要かもしれないと思っています。
宮下 良きにせよ、悪しきにせよ、医療技術は今後ますます発展していくでしょう。そこに現場の理解や、生命倫理が追いついていません。いま様々な場面でハレーションが起きています。だからこそ、そうした現状を伝えるのは私たちの仕事だと思っています。
河合 そうですね。答えが簡単に見つからないからこそ、その都度、書く側の問いかけや時には迷いすら、発信していきたいと思っています。
*本対談は9月1日、B&B(下北沢)にて開催された両氏によるイベント「誰が『命』を選ぶのか――終末期医療・生殖医療の現場から考える」をもとに、再構成しています。