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河合 先ほどまでの話の流れで、安楽死というのは、欧米の個人主義的な選択だと思った方がいるかもしれません。でも、この本を読むと、私はそれだけとも思えなかった。日本人は、よく畳の上で死にたいと言いますよね。一見、スイスで死を遂げた小島さんの思想とは対極的に思えます。

 けれど、小島さんは、親身になって付き添ってくれたお姉さん二人に囲まれて、「ありがとう」とか「大好きだよ」と言われ、見守られて死んでいった。ある意味、畳の上で死にたいという日本人の思いを、スイスの地で実現したんじゃないかなとも感じました。

宮下 なるほど、初めての感想ですね。仰るように、家族に見守られながら、そしてその場にいた全員が死を受け入れるなかで、小島さんは亡くなっていった。最後に、笑顔を見せながら逝った姿が、いまも目に焼き付いています。NHKでもその姿を放映したので、多くの視聴者から反響が寄せられたようです。

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 ただし、スイスに渡ってまで死を遂げたのは、小島さんの強い意志あってのもの。また、最終的に、その逝き方を尊重したお姉さんたちの存在も大きかった。つまりは彼女にしか出来なかった最期の形だったと理解しています。今回の出来事をもって、日本で法制化を前進させるべきだとは思っていません。

安楽死を施した医療者のトラウマ

河合 小島さんが生きていたら聞いてみたかったことがあります。医学が進み、様々な局面で新たな治療法が生まれていますよね。エイズは昔不治の病だったけれど、いまは薬ができて症状をコントロールできる病になりました。そういった医療の発達ということに対して、彼女は希望を抱かれていなかったんでしょうか?

宮下 すぐに、新たな治療法が開発されるとの希望は持ってなかったと思います。一方で、身体的なケアは難しくとも、精神的なケアなら可能だと思われた医療関係者は多いようです。だから彼らの間に、小島さんの安楽死は早すぎるという意見があがっていることは、私も知っています。