昭和34年(1959年)創刊の総合週刊誌「週刊文春」の紹介サイトです。最新号やバックナンバーから、いくつか記事を掲載していきます。各号の目次や定期購読のご案内も掲載しています。

2020/08/07

genre : ライフ, 歴史, 読書

戦後自殺した作戦参謀は何人もいた

 拙著にも引用した『ねじ曲げられた桜』の著者の大貫恵美子氏は、アメリカ在住の学者で、私と同世代の研究者なのだが、この本の中で特攻作戦をアメリカの視点で分析している。この中で彼女は、特攻作戦とこの作戦を進めた軍事指導者たちに対して許容するものがない、と激しい筆調で批判をしている。

 その点、私と世代が近いにもかかわらず、幾つかの点で違うなと思うのは、私は百パーセントの特攻批判はできないとの立場である。というのも、この作戦を選ぶというところに、戦時指導した参謀たちの意識のどこかに、日本的文化があったのではないだろうか、と考えているからである。最後の段階では思考を放棄して、情念だけで事態を捉える。あるいは感性のみで現実に向き合おうとする。その習性を私たちは持ち合わせているのではないかと、自省することが必要なのである。

 前述の、特攻作戦を進めたと言われている大西瀧治郎は、終戦直後に自殺している。大西以外にも、死んで責任を取るといって、戦後自殺した作戦参謀は何人もいた。

 また、特攻隊を送り出したある隊の隊長は、自らは死ぬ機会を失ったが、戦争が終わったあと、彼の部下で特攻隊員として逝った学徒兵の家を一軒一軒訪ねて、お焼香して歩いたという。その慰霊をすべて終わった昭和22年、彼は千葉県で列車に飛び込んで自殺した。

 なぜ彼は列車に飛び込んだのか。それは、列車が機械だから、鉄の塊だから、と遺書に書いてあったとの説がある。特攻隊として部下を送りだしたことのつらさを自分が味わうには、列車に飛び込んで散るしかないと思ったのであろう。

写真はイメージ ©iStock.com

 もちろん、戦後になって知らぬ顔して逃げている人間もいる。だが、死という責任を取った人に対しては、私は批判の矛先を鈍らせるべきだと思う。死ねばそれでいいのかと、よくいう人がいるが、やはり死ねばいいのである。相手を十死零生で死ぬ命令を下した責任者は、確実に自らも死ななければならない、それは当然のことだと私は思っている。

 その当たり前のことをしないで逃げた人、自分を免責にするために、戦後、特攻をかなり曲解して伝えている人たち。こういう人の主張を私たちは徹底して否定しておかなければならない。あえていえば、許してはいけない。

 特攻隊の問題は、基本的には私たちの国の文化とか、責任の問題とか、そういったものを内在している。それを知って、100年先の我々の子孫にメッセージを残しておかなければならないというのが、私の考えである。そうすることで、「人間を武器に使った」時代に生きた責任を果たすことになると考えているからだ。

この記事の写真(5枚)

ツイッターをフォローして最新記事をいち早く読もう

文春オンラインをフォロー