山本五十六といえば、日独伊三国同盟、対米強硬路線に反対しながらも、真珠湾攻撃の指揮を行った海軍の連合艦隊司令長官として国民的英雄となったが、時代によって変遷をたどり、軍人的評価も「名将」「凡将」「愚将」とさまざまだ。
作家の保阪正康さんは、後方で安穏と暮らしながら机上の地図で作戦を練り、人の命をほしいままにしていた戦争指導者も少なくなかった状況で、山本五十六は「人の心を持った軍人だった」と語る。『昭和史七つの謎と七大事件 戦争、軍隊、官僚、そして日本人』(角川新書)の一部を紹介する。
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戦争指導者と兵士の関係
太平洋戦争を見つめる新しい視点、あるいはなぜこの点がもっと深く論じられてこなかったのだろうという謎に、戦争指導者と兵士の関係がある。大本営、ないしは後方にあっての司令部では、将軍や参謀たちが地図とにらめっこをしながら、こっちの部隊はあっちへ、あっちの部隊をこっちへと兵士を動かすわけだが、動かされている兵士の方はそれによって自らの「生」と「死」が決まることになる。
戦争とはそういうものさ、といってしまえばその通りだが、ここには重要な問題が隠されている。戦争とは、将軍や参謀にとっては自らの栄達を極める仕事だが、兵士にとっては死への直進という意味である。そして、9割以上は兵士なのである。それゆえに、戦時指導者と兵士との関係は、指導者は兵士の運命を伴うという本質を含んでいるのだ。
そのことを日本の軍人たちはどの程度理解しているかとなると、はなはだ心もとないといわなければならない。
「これからの戦争は、悲惨になるだろう」
第一次世界大戦は、まったく戦争の様相を変えた。科学技術の発達による兵器の開発が著しく進んだ。戦車が作られ、飛行機に爆弾を積んで相手方の陣地に落とす。あるいは高射砲の改造が進み、何10キロ先の相手側の陣地まで弾丸は飛んでいく。さらに毒ガスまでつくられた。国家総力戦に移行するなかで、戦略や戦術もまた変わっていった。
こうした状況を捉えて、当時イギリスの指導的政治家だったW・チャーチルは、このようなことを喝破している。
「これからの戦争は、悲惨になるだろう。後方の司令部にあって、暖衣飽食しながら作戦計画を練る参謀たちと、第一線で命を投げ出す兵士たちとの間に大きな亀裂が生まれる。兵士たちにとっては悲惨で残酷な運命が待ち受けていることになる」
この予想が現実のものとなったのである。
あえて私自身の体験についてふれておくが、1980年代のことだ。ある陸軍大学校出身の大本営参謀と話をしていた時、彼は陸大卒の参謀がいかに太平洋戦争に貢献したかを語ったあとに、尋ねた。