「真珠湾奇襲」の成功によって、日本軍上層部と国民の多くは早くも「戦勝ムード」に浸っていたという。
ノンフィクション作家・保阪正康さんは著書『昭和史七つの謎と七大事件 戦争、軍隊、官僚、そして日本人』(角川新書)で、真珠湾攻撃の指揮を行った海軍の連合艦隊司令長官・山本五十六の葛藤に迫る。
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得意の東條、煽るマスコミ、騒ぐ国民
日本の軍事指導者たちには、アメリカとの講和などまったく念頭になかった。とにかく戦果があがることをひたすら喜んでいた。この頃の史料を見ても、アメリカに軍事的打撃を与えたというだけで、東條英機は、「日本には天佑神助がある。皇国三千年の歴史では戦争に負けたことのない民族だ」とその周辺で得意になっているだけだった。
戦果をすぐ陛下にご報告しろと、そればかりを口にしていた。この時期日本のジャーナリズムは国家宣伝省にすぎなかったが、連日国民の士気を煽り立てるニュースを垂れ流し、それを知った国民は万歳、万歳の大騒ぎ。一般国民だけではない。太宰治や伊藤整といった知識人たちも、大国・アメリカからの強権的な圧迫から解放してくれたとして戦争を賛美しつづけた。
このような事態を見ると、軍事指導者はすっかり救国の英雄の如き錯覚をするだけでなく、日本は世界全体を支配できると考えるようになった。実際に、日本軍はオーストラリアの近く、東南アジア全域に兵を送った。太平洋の地図を見ていただければわかるが、誰もが知っている有名な戦場のミッドウェー島はハワイの近く、マーシャル諸島やトラック島は赤道のすぐ北、ガダルカナル島においてはもう南半球である。太平洋の遠くの果てまで、日本軍は派兵していったのだ。
開戦半年で虚偽の大本営発表
だがここまで戦場が広がり、兵站が延びきってしまったら、基礎的な国力に勝るアメリカが本格的に反転攻勢をかけてきたら守れるわけがない。そんなことすらも考えられないほど、日本中、上から下まで浮かれっぱなしで、冷静な判断をしようとすらしなかった。
例えば、海軍の軍令部のエリート参謀たちは、フィジー・サモア作戦というアメリカとオーストラリアを断ち切る作戦をやりたいといってきた。しかし、山本五十六はそれはダメだと主張する。山本はアメリカの太平洋艦隊を一気に叩くべきと考えていた。
そんなことを論議しているうちに、昭和17年4月18日、アメリカのドゥリットル隊のB25爆撃機16機が東京、川崎、横須賀、名古屋、四日市、神戸を爆撃した。この本土初空襲で死者は50人。開戦から半年足らずのことだった。この空襲に対し大本営発表は、敵機9機を撃墜と虚偽発表を始めている。