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「息子を死なせたくなかったら陸軍大学校へ」 無謀な戦争で、山本五十六は何を目指したか

戦後75年 『昭和史七つの謎と七大事件』より #1

2020/07/15

genre : ライフ, 歴史, 読書

とにかく早く戦争を終わらせるにはどうするか

 軍人としての山本は、むろん国家がアメリカと戦争を行うことの無謀さを承知していたが、それはこのような冒険によって国民の生命と財産が危機に瀕すること、そして天皇の気持ちに沿わないことなどをよく知っていたからだ。戦争が始まってまもなく、日本は通告なしに真珠湾を叩いたと知り、山本は困惑もしている。しかし山本は、とにかくこの戦争を早く終わらせるべきで、そのためにどのようにすべきかを考えてもいた。

写真はイメージ ©iStock.com

 防衛庁(現・防衛省)防衛研究所の戦史部主任研究員・中尾裕次氏はこのように分析している。

 太平洋正面において、海軍作戦を主とする開戦前計画の作戦目的がおおむね達成されたのは、1942(昭和17)年1月下旬のラバウル占領の時であり、この時こそが太平洋正面の戦争第一期の終末といえる。(『第二次世界大戦(三)終戦』軍事史学会編)

 この見方はあたっているだろう。

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 確かに、昭和17年1月にマニラ占領、続いてラバウル占領、2月にシンガポールを占領し、フィリピンのアメリカ軍司令官だったマッカーサーは、3月12日、「アイ・シャル・リターン」という有名な言葉を残してコレヒドール島を脱出。この時までが、日本軍が圧倒的優位に戦争を進めていた時だった。本来は、この時に日本は第二段階としてどのような戦略をもつべきか、あるいは政治的に和平や講和の方法を考えなければならなかったのだ。だが事態はそうはならなかった。前述の中尾が書いてある。

 しかしながら、開戦前に戦争終結をにらんだ長期戦争指導計画がなかったことが、攻勢の終末点を越えて作戦し、作戦の失敗に応ずる柔軟な作戦指導の変更を誤らせることになってしまった。また、初期作戦の成功に酔い、後は占領地域の軍政に重点を指向し、相変わらず北方を重視した陸軍、真珠湾の勝利によって、聯合艦隊主導の作戦指導に終始した海軍、両者のこのような態度が、統合された長期戦略の確立を阻止することになったのである。(同書)

「息子を死なせたくなかったら陸軍大学校へ」 無謀な戦争で、山本五十六は何を目指したか

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