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エリート軍人に「本来戦死はありえない」

「君に息子さんはいるのか」

「小学生の息子がいます」

 私が答えると、彼はすぐに語りだした。

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「もし君が息子を戦争で死なせたくなかったら──これからは大きな戦争はないだろうけど、それにしてもぜひ陸軍大学校に入れるといい。今なら防衛大になるけどね」

「なぜ防衛大に入学させなければならないのですか」

「決まってるだろう。死なせたくなかったらだよ。自分の陸大時の同級生が50人余り(陸大の定員は普通50人。その受験資格が決められているせいもあるが、倍率はかなり高い)だが、あの戦争で死んだのはわずか4人だよ。それもたまたま激戦地の参謀でね、本来なら戦死ということはありえなかった……」

 そのような意味のことを、とくとくと語った。戦地によっては、兵士の死亡率は70~80パーセントに達するのだから、この陸大卒のエリート軍人が口にしたことは、まさしく本音であった。

 私は何も言えずに黙して、この軍人の顔を見つめた。日本軍の高級指揮官は玉砕を行った戦地以外では、ほとんど死ぬことはなかったことに改めて気づいた。このときにはからずも、戦争指導者の本音に出会ったような思いがしたのだ。まさにチャーチルが言っている「残酷な運命」の意味とは、このことだったと気づいたのであった。

写真はイメージ ©iStock.com

 戦後日本で部下の兵士と運命をともにした将官たちは、全体に好意的に受け止められている。他方、特に大本営にあって暖衣飽食しつつ、自らは机上の地図をもとに部隊を恣意的に動かしていた戦時指導者などは、それ自体で失格、ないしは国民の怨嗟を買っている。第四航空軍司令官として特攻隊員に、「君らこそ神国日本の鑑だ。いつか自分も君らの後に続く」と言って送り出していながら、自分はさっさと台湾の基地に逃げ帰った司令官などは、まさに要領のいい恥しらずの軍人であり、今や戦史に興味をもつ誰もが容易に知ることのできるエピソードとして語り伝えられている。

 Tというこの軍人には、ただの1冊も評伝が書かれていない。太平洋戦争の愚昧な戦争指導者として、その名を歴史に刻まれているのだ。

 そういうなかで、今なお人気を持ち続けている軍人は、海軍の連合艦隊司令長官として真珠湾攻撃の指揮を行った山本五十六であろう。私は彼は海軍大学校を卒業したエリート軍人だと思うが、単なる軍官僚ではなく、「人間の心」をもった軍人だったと言っていいだろう。