研究範囲で時間を一切使わずに指した理由を聞くと……
ちなみに、昔の将棋界では、どんなに序盤でも、お互いに少しずつ考えながら進んでいた。あらかじめ用意した研究範囲に対して、時間を一切使わずに指しはじめた最初の棋士のひとりは森内九段だと思う。
森内九段に、なぜそういう指し方をはじめたのか聞いた。
「弱いものが勝つにはそれしかないですから。なにしろ、相手が羽生さんですからね」
切実な言葉を笑顔で語る森内九段に、勝負の世界のきびしさと、同時に、勝負への覚悟のすごさを感じた。
実際、当時は異端に見られていたこの指し方は、いまでは多くの棋士が採用する、普通の指し方になった。AIで事前に研究して、研究範囲はどんどん指す。こうした時代の流れができたのは、先人が切り開いたからなのだ。
「ここに香車を打たなくちゃいけないようじゃ、豊島さんがつらいですね。本当は香車は、攻めに使いたいですから」と森内九段。モニタの中継画面では、コンピュータが先手の1000点プラスと示している。
永瀬叡王は、本局一の長考で、持ち時間60分のうち20分を費やして▲7一角と打った。後手の飛車が△5二に逃げたあと、先手の選択肢はふたつあるという。ひとつは▲2五歩からきびしく攻める手順と、▲4七歩からゆっくり攻める手順だ。
永瀬叡王は、後者の安全な手順を選択した。安全に安全に、じわじわと、真綿で首を絞めるように指すのは、持ち味でもある。一気に勝ちを求めて決めに行くと、やりそこなったときに、一気に負けになってしまう。無理に決めに行かなくても、優勢を保てさえいれば、いずれ勝つ。勝たずに千日手になってしまっても、次もじっくり指し続ければ、そのうち勝つ。そういう思想なのだろう。
森内九段も対局規定を何度も確認している
以前、強豪ソフトPonanzaの作者の山本一成氏に、Ponanzaと二枚落ちで指させてもらったことがある。さすがに勝てるだろうと思ったら、とんでもなく強いのだ。Ponanzaには飛車と角がいないので、最初はこちらが圧倒的に優勢ではじまるのだが、踏みとどまる力が猛烈に強く、なぜか勝ちきれない。
同様に、将棋が強い人は、形勢が悪くなった後に、なかなか差を開かせずについてくる(自分のレベルと比較してたいへん申し訳ないのだが、しかし事実だろう)。
永瀬叡王有利で進んでいた対局は、手数が伸びるうちに形勢がわからなくなってきた。豊島竜王・名人の粘りによって形勢が接近してきたのだ。第2局がタイトル戦では極めて珍しい持将棋(引き分け)だったので、スタッフもあわてているし、森内九段も対局規定を何度も確認している。
やがておたがいの「玉」が敵陣深くに攻め上がり、どちらも詰ますことはできなくなった。
17時49分。207手で持将棋が成立して終局。持ち時間を使い切って1手60秒以内に指す「1分将棋」が2時間近く続いたことになる。
……とにかく疲れた。見てるだけでもこれくらい疲れるのに、もう1局、指すなんて信じられない。というのが第3局を見た直後の率直な感想だ。対局直後のニコニコ生放送のインタビューで、永瀬叡王が「スピーディーな将棋でした」と笑顔で話していたのには笑ってしまった。視聴者のコメントも沸いていた。
INFORMATION
第5期叡王戦七番勝負第3局 棋譜
http://www.eiou.jp/kifu_player/20200719-1.html
第5期叡王戦七番勝負第6局(2019年8月1日13:30放送開始)
https://live2.nicovideo.jp/watch/lv326756293
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